速度規制で「歩行者中心」を実現

――MaaSは、サービス提供のあり方を見直し、人の移動を促す取り組みと言えます。一方、道路空間のあり方を見直し、人の移動・滞留を促す取り組みも注目を浴びています。その核にあるのが、歩行者を中心にすえる「ウォーカブル」の思想です。欧米を中心にこの考え方が広がっている背景には、どのような時代の流れがありますか。

牧村 世界共通の流れは、都市間競争の中でほかの都市に負けない魅力を生み出さないといけないというものです。都市の魅力は、多様な人との出会いにあります。「ウォーカブル」は、その出会いの場を道路空間に求め、魅力向上を図ろうという発想です。多様な人が安心して集える場からは、例えば東京・原宿の歩行者天国が1980年代前後にそうであったように、都市の文化が生まれますよね。

もう一つ見過ごせないのは、安全の問題です。世界保健機構(WHO)の報告によれば、世界では年間135万人規模の人が交通事故で亡くなっています。中国で20万人超、米国で4万人近くに達します。自動運転技術による事故防止への期待は高いものの、実用化はまだ先のことです。その一方で、コロナ禍によって人の命の大切さがあらためてクローズアップされるようになり、安全への関心は一段と高まっています。

こうしたことから、人が安心して移動・滞留できる環境、そして新しい出会いが生まれる環境、つまり「ウォーカブル」な道路空間が求められているのです。

――世界に目を向けると、具体的にはどのようなやり方で安全を確保し、「ウォーカブル」を実現しているのですか。

牧村 速度規制です。ベルギーの首都であるブリュッセルでは今年1月から、幹線道路を除く道路を対象に最高速度を時速30kmに規制する仕組みを導入しています。フィンランドの首都であるヘルシンキでも同じく、まちなかでは時速30km規制を課しています。日本でも生活道路を対象に最高速度を時速30kmに抑える「ゾーン30」という速度規制の仕組みがありますが、そのさらに先をいくものです。

根っこにあるのは、死亡・重傷事故をゼロにすることを目指す「ビジョン・ゼロ」という交通安全哲学です。日本ではさまざまな安全対策が施され、交通事故の死者数は欧州並みに少なくなってきたとはいえ、この哲学がまだ徹底されているとは言えません。例えば東京は歩行者が多く、歩行者中心の道路空間が提供されているようにも思いますが、幹線道路では自動車は時速60kmまでの速度規制の下で走行しています。速度差は大きいですね。

――道路空間全体で見ると、電動キックボードをはじめ、さまざまなパーソナルモビリティの導入に向けた取り組みが始まっています。「ビジョン・ゼロ」の哲学が十分に浸透し切れていない中、混乱が生じかねないようにも思います。

牧村 ドライバーからすると、道路上では最近、日常使いの自転車に加え、スピードがより速いロードバイクにも気を使わざるを得ない状況です。道路空間ではスピードの混在が起きています。ドライバーの高齢化が進むと、その問題は交通事故という形で一層顕在化してくるのではないか、と危惧しています。

路側の活用に向け、青写真を描け

ただ、都市部ではわざわざタクシーを利用するほどでもない短距離の移動需要が確実に見込まれます。外国人観光客でも手軽に利用できる多様なモビリティを導入し、そうした短距離の移動を促すことは、温室効果ガスである二酸化炭素(CO2)の排出削減にもつながり、都市の魅力向上という観点からも評価できます。

必要なのは、道路空間全体として利用主体間の速度差をできるだけ小さくすることです。また道路空間の再編によって、例えば車線数を減らし、自動車がスピードを出しにくくする一方で歩行者が車道を横断しやすくする、といった対応も求められます。インフラ側の対応で安全確保を図る発想が重要です。

――速度差を整理するという観点からも注目したいのは、車道と歩道の境界領域にあたる路側の活用です。国土交通省が2020年6月に公表したビジョン「2040年、道路の景色が変わる」でも、その活用を図る「路側マネジメント」の考え方を打ち出しています(図3)。その可能性と課題をどのようにお考えですか。

(図3)国土交通省では「2040年、道路の景色が変わる」というビジョンの中で、曜日や時間帯に応じて道路空間の使い方を変える「路側マネジメント」を、中長期的な道路政策の方向性として打ち出した(出所:国土交通省「2040年、道路の景色が変わる」)
(図3)国土交通省では「2040年、道路の景色が変わる」というビジョンの中で、曜日や時間帯に応じて道路空間の使い方を変える「路側マネジメント」を、中長期的な道路政策の方向性として打ち出した(出所:国土交通省「2040年、道路の景色が変わる」)
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牧村 配車サービスなどの利用を考えると、路側はクルマを乗り降りする場として価値を持ちます。自動運転社会になれば、駐停車禁止のルールによって横断歩道や交差点などの近くでは車両が確実に停まれなくなるため、なおさらです。時間帯によって用途を使い分け、路側を可変的に活用していくことが期待されます。

(写真2)牧村和彦(まきむら・かずひこ)氏。東京大学博士(工学)。1990年一般財団法人計量計画研究所入所。筑波大学客員教授、神戸大学客員教授、南山大学非常勤講師。一般社団法人JCoMaaS理事、一般社団法人日本モビリティ・マネジメント会議理事。将来の交通社会を描くスペシャリストとして活動。内閣官房未来投資会議、官民連携協議会などに参加。経済産業省スマートモビリティチャレンジ推進協議会企画運営委員、国土交通省MaaS委員会臨時委員、同省ユニバーサル社会におけるMaaSの活用方策についての研究会委員、同省バスタプロジェクト推進検討会委員などを務める。著書に、「MaaS―モビリティ革命の先にある全産業のゲームチェンジ」(共著、日経BP)、「Beyond MaaS―日本から始まる新モビリティ革命」(共著、日経BP)、「MaaSが都市を変える」(学芸出版社)などがある。
(写真2)牧村和彦(まきむら・かずひこ)氏。東京大学博士(工学)。1990年一般財団法人計量計画研究所入所。筑波大学客員教授、神戸大学客員教授、南山大学非常勤講師。一般社団法人JCoMaaS理事、一般社団法人日本モビリティ・マネジメント会議理事。将来の交通社会を描くスペシャリストとして活動。内閣官房未来投資会議、官民連携協議会などに参加。経済産業省スマートモビリティチャレンジ推進協議会企画運営委員、国土交通省MaaS委員会臨時委員、同省ユニバーサル社会におけるMaaSの活用方策についての研究会委員、同省バスタプロジェクト推進検討会委員などを務める。著書に、「MaaS―モビリティ革命の先にある全産業のゲームチェンジ」(共著、日経BP)、「Beyond MaaS―日本から始まる新モビリティ革命」(共著、日経BP)、「MaaSが都市を変える」(学芸出版社)などがある。
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ただ現状では、路線バスの乗降、自転車の走行、貨物車の荷さばきなど、さまざまな用途に使われています。短距離の移動を促すほかのモビリティがそこに参入してくれば、状況はさらに混とんとしてきます。優先順位を付け利用の区分けを示すような路側活用に向けた青写真を描くことが不可欠です。その青写真を基に、路側の活用に向けた沿道の合意形成を、時間を掛けて進めていく必要があります。

――クルマ社会の到来によって、都市ではかねて、「交通安全」「環境汚染」「空間効率」といった課題が指摘されていました。モビリティの電動化や自動化まで視野に入れると、それらはいずれも、改善の方向に向かうようにも見えます。

牧村 大きな流れとしては、そうでしょう。しかし、日本のモビリティ革命はまだ始まったとは言えない段階です。海外とはスピード感が異なります。MaaSにしても、サービス対象エリアの人口は多いものの、その価値を実感できている利用者はまだ、その一部に限られるのが実情ではないでしょうか。

遅れの背景には、新しいビジネスを支援しようという姿勢の弱さがあるように思います。スイスのシオンという人口3万人ほどのまちでは2016年6月から、駅と中心市街地の間で自動運転バスが運行されています(写真2)。自動運転技術の社会実装はまだ難しいけれど、実現できれば、交通事故を減らせると信じ、その社会実装に向けた取り組みを支えていこう、という気概を感じます。自動運転車両の事故が報じられると、日本では「それ見たことか」と技術開発を否定するような反応が出がちです。社会受容性の違いを痛感します。

(写真3)スイス・ヴァレー州の州都、シオンの中心市街地で運行されている自動運転バス。道路の片側は店舗、向かい側はオープンカフェなどのオープンスペースで、道路を横断する歩行者も少なくない。この一帯では自動車の最高速度が時速20kmまたは30kmに規制されており、道路を走行する車両と歩行者との共存が図られている(画像提供:牧村和彦氏)
(写真3)スイス・ヴァレー州の州都、シオンの中心市街地で運行されている自動運転バス。道路の片側は店舗、向かい側はオープンカフェなどのオープンスペースで、道路を横断する歩行者も少なくない。この一帯では自動車の最高速度が時速20kmまたは30kmに規制されており、道路を走行する車両と歩行者との共存が図られている(画像提供:牧村和彦氏)
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全国各地で取り組まれている実証実験が継続されることによって、社会受容性が次第に高まっていくことを期待しています。