必要なエリアでは最高速度の自動制御を

――「ソフトカー」を広い意味では「外部環境とコミュニケーションを行いながら適切な走行を行う車」と位置付けています。「外部環境とのコミュニケーション」とはどのようなことを指しているのですか。

例えば人混みで人の前を横切るとき、「すみません」と言うか否かで、横切られた側の心情は異なります。人と人であれば、言葉を発しない、視線や表情によるコミュニケーションでも極めて有効です。

クルマはどうでしょう。言葉も発しないし、視線や表情もありません。だから、クルマがそのまま進もうとしているのか道を譲ろうとしているのか、非常に分かりにくい。ドライバーの視線や表情も歩行者からは読み取りにくいのが実情です。

そこで、「ソフトカー」は最高速度の表示装置を組み込んでいます。速度に関する意思に限られますが、ドライバーの意思をこの装置によって表現する狙いです。自己表現に用いる一方で、歩行者からの監視にも利用できます。外部環境に対して最高速度が速すぎる場合は、「このドライバーは何を考えているんだ」という目で見られてしまうわけです。

――ソフトカーのプロジェクトは2000年8月、国の「ミレニアム・プロジェクト」の一つとしてスタートしました。以降、必要な技術開発に取り組み、走行実験を重ねました。プロジェクトを通じて分かったことは何ですか。

最高速度の制御は人間をハッピーにする側面が多いという点です。大学キャンパス内は時速6kmで走っています。すると、ドライバーに安全に走行しているという誇りが生まれるんです。中国・上海から訪れた大学教授は「これだ」と納得していました。ひどい交通事故が起きる中国で必要とされているのは、このクルマだと言うんです。

もちろん、幹線道路では最低でも時速30kmの走行性能が求められます。ただ、歩行者とクルマが混ざるまちなかを走るなら、時速6km程度の速度が適切であると体感できました。速度を制御する必要があるエリアに入ったときや近くに歩行者が検知されたときは最高速度を時速6kmに自動で制御することが、今の技術で十分に可能だと思います。

かつて英国の都市計画家、コーリン・ブキャナン氏が、いわゆるブキャナン・レポートを同国の交通省に提出しました。そこでは、無秩序に市街地に入り込むクルマへの対策として、道路にヒエラルキーの秩序を与え、クルマから守られた静穏な「居住環境地区」を設定することが提案されています。そうしたエリアをクルマ側の仕組みによって実現しようとするのが、ソフトカーなのです。

モビリティ全体の共生へ、技術の融合を

――将来をにらんだクルマの技術開発が進んでいます。自動運転の技術開発はソフトカーの考え方になじむものですか。

大きく2つの問題をはらんでいるとみています。問題の一つは、クルマ以外の交通モード、例えばバイク、自転車、歩行者などを、都市部ではクルマと同じように認知できるのかという点です。クルマの走行環境は可変的です。走行中のクルマの近くを、センサーで感知しやすいクルマばかりが走行するとも限りません。

もう一つの問題は、クルマのメンテナンスです。走行環境が可変的であるのと同じように、ドライバーの考え方もさまざまです。自動運転が100%完全に稼働するようすべての人がメンテナンスできるかが問われます。この技術は100%稼働でないと、むしろ危険です。先ほども申し上げたように、ハード・テクノロジーだけに頼るのは間違いです。

自動運転技術は高速道路と駐車場のような純粋にクルマだけの空間を前提に実用化するとみていますが、クルマと歩行者が共存すべき空間ではどうでしょうか。まちなかの細街路ではまず速度を制御したうえで、状況判断はあくまでドライバーに任せる――そのほうが、本質的な安全を確保できるのではないか、と考えています。

――クルマの走行環境やドライバーの考え方がさまざまという現実の中で、クルマの最高速度も状況に応じて変えていくという発想ですね。

そうです。自動車産業はこれまで走行性能と内部空間の快適性に優れたものを開発することを目指してきましたが、今後は別のステージに移行すべきです。それは、歩行者、自転車、バイク、バスなどを含めたモビリティ全体の共生に向けて、速度制御や安全運転支援の技術などを融合させながら、各モビリティの安全、健康、快適、さらに歴史や自然との整合、それらの確保を目指すステージです。共生型モビリティの実現へ、脱・スピードというパラダイムシフトが求められます。

小栗幸夫(おぐり・ゆきお)氏。米国ペンシルバニア大学都市計画学部博士課程修了。筑波大学社会工学系講師、西洋環境開発勤務、アーバン・プラネット環境計画代表取締役などを経て、2000年4月から千葉商科大学政策情報学部教授。ソフトカー・プロジェクトチーム代表。