地方衰退が指摘されて久しい。そんな中、紀伊半島の沿岸東部に位置する三重県南伊勢町で興味深いプロジェクトが進められている。水産資源が豊かな過疎地と“海なし県”のベッドタウンを結ぶ流通事業だ。過疎の町にカネを回し、雇用をつくり、移住者や子供までも増やしつつある。仕掛け人である還暦過ぎの元ラガーマンに話を聞いた。(文中敬称略)

三重県で最も高齢化率が高く、衰退の危機に直面する南伊勢町。ここで生まれた事業が注目を集めている。南伊勢町は県内一の漁獲高を誇るのだが、ここで穫れた海産物を、廃校の給食室を利用したセントラルキッチンで調理。製造した食材を隣り合う“海なし県”滋賀の東近江市や湖南市に運び、3つある直営の飲食店で提供するというもの。新鮮な海の幸が喜ばれ、どの店舗もオープン以来、活況を呈しているという。

東近江市のイタリアン「ビストロ楓江庵」は2018年にオープンした直営店。庭の部分はオープンエアで飲食を楽しめるウッドデッキスタイル(写真提供:みなみいせ商会)

近江地方は、自動車で高速道路を使うと南伊勢町から2時間程度の距離。大阪・京都とJR西日本の新快速でつながっており、生産年齢人口比率の高いベッドタウンでもある。「水産資源が豊かな過疎の町」と「海なし県の豊かな住宅街」を結ぶというありそうでなかったこの事業は、アイデアはシンプルだが、食分野の関係者からすれば目からウロコの取り組みである。

このプロジェクトは着実に過疎の町に金を回し、雇用をつくり、移住者を増やしている。なかには奥さんが出産予定というスタッフもいる。活動を牽引するのは、旧・国鉄の実業団でもプレーした還暦過ぎの元ラガーマンだ。

過疎の町にやってきた元ラガーマンの思い

「これが南伊勢を代表する風光明媚なスポット、五ヶ所湾です。楓(かえで)の葉のカタチにも見えるので楓江(ふうこう)湾の別名があります。自然も美しい、水産資源も豊富。なのに、この町は衰退する一方なんですよ」

そう語る男の背中には一抹の寂しさが漂っているように見えた。

この男が、三重県度会郡南伊勢町から新しい地方活性化モデルを仕掛けている小川伸司である。

阿曽浦漁港に立つ小川伸司氏。サバの養殖現場に向かうところ(撮影:筆者)

彼に初めて現地を案内してもらったのは、2年3カ月前にあたる2017年の4月だった。山の緑と入江の青が折り重なるリアス式海岸の風景は雄大かつ繊細。森の養分が海に流れ込むため、伊勢エビなどの海産物が豊富で、鯛や牡蠣、海苔の養殖が盛んな様子も見て取れた。

南伊勢町にある五ヶ所湾のドローン写真。入江と陸が交互に重なるリアス式地形は世界三大漁場といわれる三陸地方と同じ(写真撮影:VIVO TV)

「1970年に3万人いた人口が、今や半分を切ってます。廃校も多いですし、この先10年後には、町内あちこちの集落が消滅するでしょう。隣接する伊勢市との間の公共交通機関は1日数便のバスのみ。かつてカツオ漁で栄えた港には映画館やキャバレーや飲み屋街もありましたが、今や代行運転の業者もいないですし」

伊勢志摩国立公園のエリア内ではあるが、伊勢市駅から南伊勢町の中心部までレンタカーで40分程度かかる。洋式トイレにウォシュレットを完備した宿泊施設も少数。人気の伊勢志摩や鳥羽から観光客を呼び込むのは難しい。

「半年前に南伊勢町役場のプロポーザルに応募して、この町に来ました。東京でコンサル系の会社をやっていましたし、首都圏のお客様もいましたから、こちらに重心を移すことを悩みましたけど、暮らしてみると、暖かい気候のせいか、人が穏やかで明るくて、飲み仲間が増えました。とにかく前に進むしかないと思ってます」

1959年、福岡県北九州市生まれ。福岡県の有明高専時代にラグビーをはじめ、旧・国鉄の実業団でもプレーを経験。ポジションは、フォワードの花形ナンバーエイト。ラグビーに詳しくない人でも、スクラムの最後尾のポジションといえばイメージが湧くに違いない。戦略を立て、仲間に指示を出しながら攻撃も守備もとにかく走りまくるチームの要だ。

小川が手がけるこの事業は、2019年現在の結果だけを知ると「水産資源豊富な過疎の町」と「海なし県の豊かな住宅街」をクールにつないだ自治体間の広域連携の成功モデルに見える。が、そのプロセスはむしろ泥くさい。小川がラグビーの現役時代さながらに戦況を分析しながら、集めた仲間に指示を出し、全力で走りまくった結果、様々な縁や運を引き寄せ、じわじわカタチになったものなのだ。2016年10月から1000日以上ほとんど休んでいないという。

自ら2トン車を運転して「海なし県」で魚介類を販売

小川が南伊勢町に移り住んだのは2016年10月。その3年前に東京・日本橋の三重県アンテナショップ「三重テラス」を手がけており、その手腕を知った南伊勢町が地域活性化事業のプロポーザルへの参加を要請したのだった。公募に参加し事業を請け負った彼がまず始めたのは、町内の水産、農業、観光を中心としたリソースのリサーチだった。

「海辺から山奥まで車で走りまわり、何がウリになるか、お金になる可能性があるかを徹底的に調べましたね。それを通じて、たくさんの知り合いもできました」

南伊勢町では養殖も盛んだ。この日、小川は使われなくなった保育園を利用したアワビの養殖現場に足を運び、直営店舗での商品化を検討(撮影:筆者)

過疎の町に移り住むことを選んだ理由は、東京の都心に多いアンテナショップのビジネスモデルに限界を感じていたからでもある。

「『三重テラス』以外に『和歌山いこら』も手がけましたが、東京都心のアンテナショップは、家賃があまりにも高額なため、黒字を出すのは至難の技。首都圏でのPRにはなると思いますが、地方に十分なお金を回したり、雇用を増やしたりにはつながらない。47都道府県で黒字なのは、北海道と沖縄のアンテナショップだけ。新しいモデルが必要と強く思いましたね」

小川が出会った南伊勢は文字通りの水産王国だった。船を沖合に出せばカツオやマグロを運ぶ黒潮が流れている。ブームのサバの全国有数の漁獲高を誇る奈屋浦港もある。鯛や牡蠣、海苔などの養殖も盛ん。

この土地に金を回し、雇用を支える事業を創るのは、とにかく水産資源を売るしかないと感じた小川は、大胆な行動に出る。2017年5月、自ら2トンの冷蔵車をレンタルして運転し、南伊勢のサバやイワシ、鯛、貝などの水産物を高速道路で「海なし県」の滋賀に自ら運び、店頭に立って販売を始めたのだ。

「初めに近江八幡の愛菜館という産直市場の方と知り合いまして、まずは愛菜館で、そこからいろんな人を紹介していただき、東近江市の道の駅など、販売スポットが増えました」

南伊勢の新鮮な魚は好評だった。毎回、早い時間に売り切れるが、客の反応からこの地のマーケットの特徴なども学んだ。切り身や干物、燻製など加工品のニーズも高いと感じていたし、サバやアジ、イワシより、鯛やマグロ、ハマチなどのメジャーな魚が大好きな地域性も分かってきた。

南伊勢町もそれを事業として形にするために、地域おこし協⼒隊の制度を利用して ⾸都圏のフレンチレストラン経験者を含む常駐職員を採用。2017年10⽉2⽇、 資本⾦3000万円を出資して地域商社「株式会社みなみいせ商会」を設⽴した。

さらに国からの補助⾦を活⽤し、廃校となった⼩学校の給⾷室をリノベーションして⽔産品の加⼯場を設置。一部の町民や議会から反対の声もあったが、南伊勢町の将来をこの事業にかけるという小山巧町長の言葉が不退転の覚悟につながった。

「ほぼ毎週末、冷蔵車に魚を積んで滋賀に売りに行きましたね。初めはとにかく動こうという感じで始めたのですが、だんだん東近江市の役所の方や、いろんな縁が広がりまして、南伊勢の加工場をセントラルキッチンとして、海のない滋賀に直営の飲食店を持ちたいと思うようになってきました」

江戸時代から商業が発達した滋賀県の近江地方は、近江商人の故郷として知られる土地。大阪・京都の都市部にも交通の便が良い、豊かな郊外型のベッドタウンでもある。人口増加率と生産年齢人口比率が高く、高齢化人口率が低い。つまりは南伊勢とは対照的な将来性のある地域なのだ。

「東近江市の小椋正清市長に興味を持っていただいたのは大きいですね。2017年12月、東近江市と南伊勢町が地域連携協定を締結し、プロジェクトが一歩進み、この地域が南伊勢の海産物を売る出口だという実感が湧いてきました」

自ら2トンの冷蔵車を運転する海産物の販売の数は、その頃には、約30回を重ねていた。