心ゆくまで本を読むことができる「フヅクエ(fuzkue)」という飲食店が、読書好きの間で注目を集めている。東京都渋谷区の初台駅前にオープンしたのが、8年前の2014年。現在、下北沢と西荻窪を合わせると3店舗になり、西荻窪はフランチャイズ店である。その空間づくり、接客方法、メニュー構成、店内ルールは、客が「本を読む」ために最良の環境を徹底して実現する。「よし今日は本を読もう!」と、好きな本を持って入店すれば、日頃の雑事を全て忘れて、本の世界に没入できることが100%「約束」されているサンクチュアリ。若い世代の支持を得て静かに盛り上がる「ありそうで、なかった」業態を取材すると、本にまつわるビジネスの可能性、さらには、多様なニーズを汲んだあるべき社会の可能性も見えてきた。

東京都渋谷区、京王新線と都営地下鉄・新宿線が乗り入れる初台駅の南口から徒歩1分。昭和レトロな理容室の2階にある「本の読める店 フヅクエ(以下、フヅクエ)」は、文字通り本の読める店。それも、徹底して、何ものにも邪魔をされず、本を読めることが約束された、ありそうでなかったスタイルの飲食店だ。

初台駅南口から徒歩1分。この理容室の2階に「フヅクエ」一号店がある(写真・栗栖誠紀)
初台駅南口から徒歩1分。この理容室の2階に「フヅクエ」一号店がある(写真・栗栖誠紀)

本が好きな人にとって、日常のこと全てを忘れて本の世界に没入するほど甘美な時間はない。一冊の本に宿る活字を味わい尽くした後、深い呼吸をしながらパタンと本を閉じる時の充実感と、「次、何を読もうか?」に思いを巡らせる時の幸せな気持ちは何ものにも代え難い。

しかし同時に、とことんまで本を楽しみ尽くすのは、案外、難しいことでもある。せっかく本の世界に深く潜ろうとしているのに、時折、それを遮る“事件”が起きるのを筆者も数多く体験してきた。

一見、安全に思える自宅でも、家族や宅配便が突然やってくる。ここなら本を読めると入った静かな喫茶店で突然、マスターと常連客が週末のキャンプの段取りの話を始めてしまう。本を読むのに最適に思える図書館でも、猛然と受験勉強に励む高校生の勢いとシャープペンシルが変則的にテーブル上で転がる音が気に障ると、それほど深くは潜れない。

ブックカフェという、いかにも本の読めそうな業態がある。だが、二人客が普通に会話をしても店の人は注意をしないし、あるいはパソコンのキーボードをカチカチ叩いている人がいたり、店の一角でワークショップが開催されていたりということもある。

「フヅクエ」初台店の内観。心地よい静けさが隅々にまで行き渡る。(写真・栗栖誠紀)
「フヅクエ」初台店の内観。心地よい静けさが隅々にまで行き渡る。(写真・栗栖誠紀)

「フヅクエ」は、上記のようなリスクが発生しない空間づくり、接客方法、メニュー構成、店内ルールを徹底している。

ドアを開けて中に入ると、店内には、ソファ席が3つ、窓に向かうカウンターに椅子席が7つ。それらは全て「おひとりさま」用のものだ。全体の照明は、明る過ぎず暗過ぎず、しかし、本を開き持つエリアの明るさは十分に確保されている。同じく室温も暖か過ぎず寒過ぎず。店のスタッフから「お好きな席へどうぞ」と告げられて、席に着くと、「案内書とメニュー」を渡される。

「案内書きとメニュー」の冊子(右/1000円、税別)、CD「本の読める音」(左/2000円、税別)は「フヅクエ」初台店で収録したノイズなどを素材にしたアンビエント作品(写真・栗栖誠紀)
「案内書きとメニュー」の冊子(右/1000円、税別)、CD「本の読める音」(左/2000円、税別)は「フヅクエ」初台店で収録したノイズなどを素材にしたアンビエント作品(写真・栗栖誠紀)

店主・阿久津隆さんが書いた「はじめに」という文章を読むと、この店が、本を読めることが100%約束された場所だとわかる。続いて、店内でのマナーについても細かく説明されている。パソコンの使用禁止やスマホの使用方法、居眠りやお連れさん同士の会話を控えること、写真撮影をする場合の注意など、さまざまな状況を想定して書かれている。だが、いわゆるNG集をまとめた雰囲気ではなく、あくまで店と客が対等な立場で敬意を払いあって「一緒に最高の読書環境を作りましょう」と呼びかける店主の思いが感じられる言葉が並ぶ。

ドリンクは、コーヒーやお茶、ジュースなどが20数種類、クラフトビールやウイスキー、ジン、ラム、各種カクテルなどのアルコール類は90種類以上もある。フードは、簡単に片手で食べられるおツマミ的な一品の他、お味噌汁の定食、チキンカレー、サンドイッチやピザトーストなど20種類近い。翻訳もののハードボイルドを読みながらバーボンウイスキーのロックを飲みたくなる人もいると思うし、仕事終わりの空腹のまま本が読みたくて来る人もいるだろう。本を読みたい人のドリンクとフードの要望が、全方向的にケアされていると感じた。初めに読書ありきのメニュー構成だが、注文せずに本を読むだけでも良い(料金システムについては後述する)。