<この記事を要約すると>

  • パナソニックが中国市場に特化した座るだけで体脂肪率や尿検査ができるIoT健康トイレを開発。
  • 混雑する病院を忌避するあまり軽症時に受診せず重症化してしまうという中国の社会問題を改善したいという思いから開発がスタートした。
  • 取得したデータをスマホアプリはもとより、洗面浴室の鏡に送信して映し出せるという近未来を思わせる製品として結実した背景には5G等中国の充実したIoTインフラがある。

今回の舞台は中国。近年、衛生環境の改善もあり急速に健康意識が高まっている半面、慢性的に混雑する病院に行きたがらずに病気を重症化させてしまうといった現象に悩んでいる。この難しい社会問題を解決する一助となるような病気を未然に防ぐ製品を開発したいという思いで製品開発に立ち上がったのが、パナソニックが中国の生産拠点を置く浙江省杭州の開発チームだった。老若男女が生活の中でIoT機器を軽々と使いこなし、5G等通信インフラの整備が進むという中国ならではの環境を背景に、医療分野に強い新興企業の協働も得て、便器に座るだけで簡便に健康チェックができるIoTトイレや、取得したデータを鏡の上に呼び出して表示できる「魔鏡」(マジックミラー)と名付けた浴室用鏡等、近未来を思わせる製品が誕生した舞台裏を取材した。

「この世の天国」でも病院は大混雑

中国浙江省の省都・杭州市。

満々とした水をたたえ、滴るような緑深い森に囲まれた霞に煙る西湖という名の湖を街の中心部に抱き、地元で採れる香り高き緑茶・龍井茶をゆったりと楽しむ人びとが暮らすという、まるで水墨画の中の世界をこの世に再現したかのようなこの街を、中国の人びとは古来、「上有天堂、下有蘇杭」(天上には天国があり、下界には蘇州と杭州がある)と称えてきた。今でも憧れの街をひと目見ようと、中国全土からの観光客が四季を通じて絶えることがない。

杭州のシンボル西湖

一方で、現在では中国最大のIT企業の一つであるアリババ(阿里巴巴)の本拠地として知られ、経済や産業の面でも全国有数の実力を誇る、人口980万人の大都会。2019年の1人当たりGDPは2万2000米ドルと、経済力では既に先進国の水準にある。

このように古から「天国のような美しい街」と称えられてきた杭州ではあるが、実際の生活の中には当然、天国とはかけ離れた側面も存在する。中国の他の街同様、杭州でも、病院にかかるのに大変な労力と時間を必要とする、ということがその一つだ。

病院の混雑ぶりを表す言葉として中国では「排隊3個小時、看病3分鐘」という言い方がある。「3時間行列しても、診察してくれるのは3分だけ」というわけだ。ただ、並ぶのが3時間ならまだましな方で、毛布や寝袋を持ち込み、病院の外で寝泊まりして順番を取る人たちや、並ぶのに疲れて苛立った人たちが小競り合いをしている様子を収めた動画や画像が中国のSNSには溢れかえっている。

病院が混雑することを悪用して一儲けしようという輩がいるのも、混雑の悪化に拍車をかけている要因の1つだ。本来ならば数十元(1元=約16円)、有名病院でも200元程度で取得できる診療予約券を、病院関係者がダフ屋に横流しし、人気の大病院のものなら5倍、10倍という高値で転売される。結果、真面目に並ぶ人たちはますます、病院にかかりにくくなる。

ただ、劣悪で苛酷な状況にあるからこそ、そこからなんとか抜けだそう、解決しようと知恵を絞り、結果、思いもよらなかった革新的なモノが生まれることがある。

杭州都心部の繁華街

「この状況を自分たちの製品で何とか改善することはできないのか」。病院予約のダフ屋行為がエスカレートし社会問題化し始めていた2014年、杭州の一角で、そんなことを考え始めた一群がいた。在中国のパナソニック(松下家電中国)の開発チームである。

これが後に、トイレに座るだけで体脂肪と尿検査ができ、検測結果が瞬時に洗面所のデジタルミラーに映し出され自分の健康状態をチェックできるという、まるでSF映画に出てくるような近未来的なIoTトイレとなって結実する。しかもこの製品、中国では既に夢物語ではなく、製品化され市販されているのである。

「長時間の順番待ち、煩雑な検査と、中国で病院にかかるのは一日がかり。それなのに、診察はそれほど丁寧だとはいえない。だから、症状が軽ければ病院に行かずに市販薬を買って済ませてしまう。でも、そんなことを繰り返しているうちに症状が進んで重症化し、手術や長い入院が必要になるというケースが中国では後を絶たない。大事に至らぬためには、日々、体の数値を調べて健康をチェックすることが有効。中国人の病気を未然に防ぐために役立つ製品を作りたい。それが、IoTトイレ開発の原点になった発想だった」。先行技術開発担当の王銀輝氏はこう語る。

パナソニック(松下家電中国)杭州工場のトイレ組み立てライン

「爆買い」で激変したトイレへの意識

彼らが中国でIoTトイレの開発に着手した2014年といえば、日本では中国人観光客をはじめとするインバウンド消費が注目され始めた年。2015年には中国人客の凄まじい買い物ぶりが「爆買い」という言葉を生み、その年の流行語大賞にまで選ばれたのは記憶に新しいが、爆買いの対象の1つになったのが温水洗浄便座だ。

観光で訪れた日本のホテルやデパート等で温水洗浄便座に触れてその快適さを知り持ち帰り、中国の都市部を中心に広まっていく。パナソニックが中国で生産する温水洗浄便座「ビューティ・トワレ」は高い機能性とアフターサービスの良さもあってよく売れ、中国市場では1%のシェアを獲得し、市場をリードする存在になる。

温水洗浄便座の浸透で、それまでの「用を足すだけの空間」から「快適な空間」として重視され始めたトイレ。製品のさらなる進化を日々考え続けていた王氏等開発陣は、トイレという空間における人の動きを徹底的に洗い出す作業を繰り返す。そしてある日、トイレに「病気を未然に防ぐための空間」という要素を定着させるのに欠かせない、ある行動に気付く。それは、「トイレに座るときに人は必ずズボンを脱ぐ」ということだ。

「中国人の健康に対する意識はおしなべて高い。だから、血圧計をはじめとする家庭で使える医療機器や健康器具もあれこれ買う。ただ多くは、一度使っただけでしまい込んでしまうのがほとんどだ」(王氏)

なぜ使わなくなるのか。「それは、『上着を脱ぐ』『ズボンを下ろす』『靴下を脱ぐ』等々、検査をするまでに『ひと手間』がかかるためだ。ところがトイレで便座に座る時に人は必ずズボンを脱ぐ。これを健康測定につなげることができれば、面倒だからと続かなかった検査を習慣づけすることが可能だと考えた」(王氏)

松下家電(中国)有限公司
小家電開発中心・温水便座設計部
開発二課 健康開発系 係長
王 銀輝氏

こうしてパナソニックは2014年、体脂肪計を組み込んだトイレの開発に着手。さらにその後、尿検査の機能も盛り込みたいということになったが、ここでぶつかったのが、医療分野の検測で国が定める規準にどう合わせていくか、という壁だ。

「当社には、トワレで積み上げてきたトイレタリーの経験と技術はある。しかし、尿の検測をはじめとする健康分野ではそれがなかったし、ゼロから自社でやるには時間も費用もかかりすぎる。そこで、健康分野で経験を持つパートナーを探すことにした」(商品企画部・沈康帥氏)

松下家電(中国)有限公司
衛浴商品企画部
沈 康帥氏

そこで出会ったのが、天津に本拠を置く、尿検測機器のHIPEE(天津果実科技)だった。