ユーザーの足の動きを検知して、足に対してルート情報を知らせる──“魔法”という言葉を思わせる靴装着型のナビゲーション・システムがある。ホンダで自動車開発に携わってきたエンジニアが構想するのは、センシングとスマホアプリ、GPSとクラウドサービスがシームレスに連携したサービスだ。人間の「歩行」を「モビリティ」と捉えるという新しい発想に基づいたサービスの狙いについて、Ashirase(あしらせ)代表取締役CEOの千野歩氏に聞いた。
日本にいる視覚障害者の数は30万人超(総務省調査)。弱視者など「ロービジョン」状態の人を含めると160万人になると言われる。今後、社会の高齢化がさらに進むと、何らかのかたちで視覚に制限を持つ人は増えていくだろう。
そんな状況下、視覚障害者に向けた新しいタイプの歩行支援システムを開発しているベンチャー企業がAshirase(あしらせ)だ。2022年度中の販売開始を目指して、研究開発を進めている。2021年8月には、広島県が展開する事業支援の枠組み「ひろしまサンドボックス」に採択され、30人規模の実証実験も行った。
同社が開発するシステム「あしらせ」の最大の特徴は、靴に取り付けることができる振動インタフェースだ。視覚障害がある人にとって、聴覚と手の次に情報を知覚しやすいという「足」に刺激を与える仕組みにより、利用者をナビゲートする仕組みだという。

歩行支援システムを通じて、多くの人々に豊かな移動体験を提供しようとする同社 代表取締役CEOの千野歩氏は元ホンダのエンジニア。自動運転技術の開発に携わってきた経験がどのように生かされているのか。社会における課題をビジネスで解決する手段やテクノロジーの組み合わせ方を考えながら、近未来における人々の歩行シーンを垣間見る。
自動車開発から歩行の在り方を発想
──「あしらせ」という社名とサービス名は、「足」に「知らせる」から来ているのですよね。
千野氏(以下敬称略):そうですね。私たちは「視覚障害者向けの歩行ナビゲーションシステム」という名称で開発しています。
最初に想定しているユーザーは、一般に「弱視」や「ロービジョン」と呼ばれる方々です。少しだけ視力があったり、視野が残っている症状の方たちのことです。ただ、最近の試験で、全盲で歩行能力が高い方、盲導犬ユーザーの方々にも使っていただけそうだということが見えてきました。そこで順次、そうした方々の利用も視野に入れたサービスとして開発を進めていくつもりです。

──現在、視覚障害者が利用できる歩行ナビゲーションのサービスは、どれくらい充実しているのでしょうか。
千野:全盲の方に向けた安全やルート確認としては、超音波を飛ばして障害物を検知して教えてくれる技術が製品化されていたり、信号の色を音声で教えてくれるものがあったりします。その一方で、ロービジョンの方に特化したようなサービスはなかなかありませんでした。
普段、ロービジョンの方たちが街を歩くとき、電柱の数を数えて「この角を曲がる」といった具合に、安全確認やルート確認に追われることが多いんです。スマートフォンを目の前に近づけたり、大きなタブレットで地図を拡大したりもしなくてはならず、いろいろなことに意識が奪われざるを得ません。
そのように残された視力や聴覚、点字ブロックの凹凸を感じる足裏の触覚も総動員して、安全を確認しながら歩いています。こうした歩行を続けると、どうしても意識がいっぱいいっぱいの状態になってしまう。私たちはその状態を「注意資源がなくなる」という言い方をします。
──その「注意資源」とはどんなものでしょうか?
千野:多くの人に経験があると思いますが、何かに集中しているときには、他の五感の入力に対して意識を向けることが難しい。例えば「本を読んでいて急に話しかけられるとビックリする」といった具合です。要するに、人間の注意力には限りがあるという考え方ですね。
これまでホンダで自動車の開発をしてきたとき、クルマと安全というテーマは切っても切れない関係でした。自動運転の研究においても、同じく安全を担保する技術が重視されます。そのときにエンジニアが着目するのが注意資源の欠如、つまり「人間の注意力」の限界です。
この経験から発想したのが、「注意すべき対象を絞れば、危険を減らせるのではないか」というアイデアです。ロービジョンの方の注意資源を奪うことなく、無意識的、直感的にルート案内できる方法はないだろうか、と考えました。