技術の複合的な発展を背景に、身体機能の一部を失ってもQOL(クオリティ・オブ・ライフ、人生の質)を保てるという姿が現実になりつつある。この分野はしばしば「人間拡張」などと呼ばれるが、その一例として興味深い製品の開発が進められている。その名は「Voice Retriver(ボイス レトリーバー)」。声帯を切除した人や気道切開をした人の声によるコミュニケーションを支援する機器だ。東京医科歯科大学摂食嚥下リハビリテーション学分野の戸原玄教授と山田大志氏が開発を主導する。過去の自分の声や家族の声だけでなく、声楽家の歌声や楽器などを使うこともできる。QOLの向上を助けるテクノロジーの可能性を探る。

「声を失う」というのはどのような心境だろうか。数年前に著名な歌手兼作曲家が喉頭がんで声帯を摘出し、声を失ったという件が話題になった。声を生業としている人でなくても、表現の重要な手段である声を出せなくなるのは、人生における重大な喪失であることは間違いない。

手術を受けて声帯を切除した人のほか、気管切開によって気管から喉へと呼吸ルートを確保している人などが、声を出せなくなる。こうした人々の声によるコミュニケーションを支援するべく、新しい機器の開発を進めているチームがある。東京医科歯科大学摂食嚥下リハビリテーション学分野の戸原玄教授と山田大志氏(同大学院博士課程在学)だ。2人が手がけているのは、「Voice Retriever(ボイス レトリーバー)」という機器である。

同大学の摂食嚥下リハビリテーション学分野は、嚥下(えんげ)機能、つまり食べ物を咀嚼し飲み下す機能が低下した人の支援に向けた研究と治療活動を進めている。この嚥下障害と近しい関係にあるのが、喉が関わる声の問題だ。戸原教授と山田氏は嚥下障害を持つ患者に向き合う中、声を失った人々のQOL(クオリティ・オブ・ライフ)を高めたいという思いから、このVoice Retrieverの開発に至ったという。

Voice Retrieverは大きく2つの部分で構成されている。マウスピース型の口内装置と、電源やボタンなどからなるコントローラー(外部装置)だ。口内装置は上あごにスピーカーを仕込む形となっており、これが声帯の代わりとなって「原音」を鳴らす。利用者はこの原音を利用して口の動きで音を構成して(これを「構音」と呼ぶ。仕組みについては後述)、機器の助けを受けつつ声を出す。

健常者は、喉にある声帯で原音をつくることができる。しかし喉頭がんの手術などで声帯を取り除くと、この原音を鳴らすことができなくなる。このため、本人が声を発しようと口をいくら動かしても、話すことはできない。

声帯から原音を鳴らすことができない人に向けて、従来「電気式人工喉頭」という機器が用意されている。振動音を鳴らす機械をあごの下にあてて、口内を振動させつつ口を動かして声を出すという仕組みである。こちらは口内からの声と外部にある機械本来からの音が混在するため聞き取りにくくなりがちであること、喉に当てる場所をピンポイントで探す必要があることなどが課題だった。一方、Voice Retrieverの場合は原音を口内のスピーカーから発するため、電気式人工喉頭と比較してより自然な発声が可能になるという。

Voice Retrieverの試作機の外観。緑色の外装の機器(手前右)がコントローラー(外部装置)。左のマウスピース型の機器が口内装置で、2つセットで動作する。コントローラーは、電池やしゃべるときに「原音」(詳細は本文で後述)を再生するためのスイッチなどを備える。重量は約100g。重量・形状ともに現在市場に流通している電気式人工喉頭を意識し、持ちやすくすることを目指した。口内装置は口内(上あご)にはめる。スピーカーを搭載しており、ここから声を出すための原音が発せられる。マウスピースは利用者向けに歯科治療の要領で上あごの型を取り、個別に製造する(写真提供:東京医科歯科大学摂食嚥下リハビリテーション学分野、以下同)
Voice Retrieverの試作機の外観。緑色の外装の機器(手前右)がコントローラー(外部装置)。左のマウスピース型の機器が口内装置で、2つセットで動作する。コントローラーは、電池やしゃべるときに「原音」(詳細は本文で後述)を再生するためのスイッチなどを備える。重量は約100g。重量・形状ともに現在市場に流通している電気式人工喉頭を意識し、持ちやすくすることを目指した。口内装置は口内(上あご)にはめる。スピーカーを搭載しており、ここから声を出すための原音が発せられる。マウスピースは利用者向けに歯科治療の要領で上あごの型を取り、個別に製造する(写真提供:東京医科歯科大学摂食嚥下リハビリテーション学分野、以下同)

Voice Retriverはクラウドファンディングサービス「READY FOR」で、実証研究を進めるための資金を募集した(募集は2021年11月25日午後11時に終了)。2021年9月27日に募集を開始したところ、第一フェーズの300万円は約100人の資金提供者を受けてわずか2日目でクリア。第二フェーズの目標である800万円の資金調達も、予定していた最終募集期限を大幅に前倒しする形で10月半ばにクリアした。

複数人のテストユーザーが試作機を利用中だ。元通りとまでは言えないものの、より自然な発話体験が可能になったことで「喜びを取り戻した」とのポジティブな感想が寄せられているという。戸原教授らは「将来は、声を失った音楽家が、再び歌える日が来るかもしれない」とも展望する。

Voice Retrieverの開発エピソードを通じて、患者や病気を経験した人々のQOL向上を助けるテクノロジーの可能性を探る。

東京医科歯科大学摂食嚥下リハビリテーション学分野の戸原玄教授(左)と山田大志氏(大学院博士課程に在学中、右)
東京医科歯科大学摂食嚥下リハビリテーション学分野の戸原玄教授(左)と山田大志氏(大学院博士課程に在学中、右)