ポストコロナの社会をどうデザインするのか。様々な立場から社会や世界を注視しているプロフェッショナルが提言していくシリーズ『「コロナ後」の時代をデザインする』。第1回に登場するのは、未来を展望するレポート『メガトレンド』(日経BP社)シリーズの著者、川口盛之助氏である。コロナ登場後も世界の変化の潮流(メガトレンド)は変わらず、むしろ「これを機に前々から気になっていた諸問題にけりをつける」ことになるーー。川口氏はこうみる。よく言われる生産性向上など表側の問題に加え、社会の裏側にある不都合な問題が大きい。
「これを機に前々から気になっていた、あの問題にけりをつける」。ポストコロナの社会に向けて行われる活動の大半はこういうものだと思う。
これを機に業務のデジタル化を進め、無意味な押印回覧や通勤地獄、長時間会議などにけりをつけたい。組織人は皆、こう思っている。少子高齢化の先頭を走る我が国はイノベーションを創出するとともに生産効率を上げていかないことには未来がない。デジタル化による業務効率の改善は当然重要である。
ただし、これは課題の表層にすぎない。デジタル化により顕在化する組織の構造問題を改革することが本丸であり、同時にその裏にある社員の意識も改革しなければ実態は変わらない。

ローコンテクスト社会の実現
生産性を高める改革を一言で表現するとローコンテクスト社会の実現となる。企業活動における全てのタスクや意思疎通をデジタルで形式知化した状態を目指すものだ。DX(デジタルトランスフォーメーション)のお題目そのものだが、それを実現するにはフェアーで透明な契約社会、そして個の確立に基づく人と組織の対等な関係ができていなくてはならない。
テレワークは副産物としてアンフェアーで不透明、曖昧な個と組織の歪んだ関係を顕わにしてくれる。生態のよく判らなかった社内の妖精さんたち、すなわち「実はいらなかった社員」がいぶり出されてきた。都道府県庁にもかなりの率で妖精知事が紛れていたことが見えてしまった。もっと引いて見ると、この国難騒ぎを通して最大級の妖精たちが永田町界隈に繁殖していることもよく分かった。
企業に話を戻すと、自己決定権の確立なしにデジタル化だけ進めてもストレスがたまるばかりで結局、効率改善には逆行してしまう。自己決定権とは「自分の人生は自分で決める」という意味である。
西洋の場合にはこの哲学が先にあり、自然な帰結としてデジタル化に至ったわけだが、日本では形から入って徐々に血肉にするしかない。「これを機に」若者たちが個の確立に目覚め、企業の組織改革運動が地方自治にまで及び、若い知事たちが永田町に大政奉還を迫る動きに至るとすれば大変な収穫と言えよう。