2019年夏、キユーピーは独自素材「熟成卵黄」を使った商品の販売を開始した。熟成卵黄とは、卵黄を麹によって熟成させたもの。卵ならではのうまみとコクを最大限に引き出すため、同社は麹菌の専門メーカーである樋口松之助商店と共同開発により、熟成卵黄を作るための素材「卵麹」まで開発した。麹と言えば、米や麦、大豆から作るものと考えられてきたが、今その常識が変わろうとしている。

10年ほど前より、「麹」という言葉が世間を賑わせるようになった。麹とは、主に蒸した米や麦、煮大豆などの穀物に麹カビを繁殖させたもの。日本古来の食材である醤油や味噌、清酒などを作る際には欠かせない素材だ。様々な酵素を含み、これが食材の持つデンプンを糖化し、タンパク質をアミノ酸に分解するなどで、甘みやうまみを増し栄養に富む発酵食品に変化させる。

長らく日本の食文化を陰ながら支える存在だったが、江戸時代に使われていた調味料「塩麹」の作り方が紹介されたり、相次ぎ製品化されたりすることで世間に広まり状況が一変した。麹と塩を合わせ発酵させた調味料である塩麹は、食材を漬けておくだけで酵素の働きからうまみやコクが増す。今や定番調味料にまでなっているが、それと共に麹自体も、食材の力を大きく引き出す素材として注目されるようになったのだ。

例えば甘酒と言えば、かつて酒かすに砂糖を加えて作ったものだが、近年市場を大きく拡大しているのは、砂糖を使用せず、ご飯に麹を合わせて作る麹甘酒。酒かす甘酒とは異なりアルコールを含まず、砂糖も不使用。米のデンプンの糖化による自然な甘みで支持を得ている。

そうした中、キユーピーが驚きの新素材を開発した。「卵麹」だ。卵に麹菌を繁殖させたもので、麹菌の専門メーカーである樋口松之助商店と共同開発した。

キユーピーと樋口松之助商店が共同開発した卵麹(写真提供:キユーピー)

麹を作る際は通常、米などのように糖分を多く含む作物を用いる。ところが、卵には糖分はほとんど含まれない。鶏卵(生)の全卵に含まれる糖質は、可食部100グラム中ブドウ糖が0.3グラム。例えば、うるち米(精白米・炊飯後)には、デンプンの糖質が34.5グラム以上含まれる(いずれも数字は日本食品標準成分表2015年版[七訂]より)。それだけ卵には麹菌が生えにくいと考えられるわけだ。では、なぜ卵麹を作ろうと考えたのか。そして、作りにくいはずの卵麹をどのように実現したのだろうか。

開発したのは入社6年目の若手研究者

口火となったのは「熟成卵黄」という素材の開発だった。

卵からできる調味料マヨネーズでお馴染みのキユーピーは、グループ全体で日本で生産される卵の約10パーセントを取り扱っている。消費者向けの製品だけでなく、メーカーや飲食店向けに液卵、乾燥卵など卵の加工品を原料として販売しており、キユーピーグループのタマゴ事業は全体の売り上げの17.6パーセントを占める(2018年度)。

そうした中、卵黄を発酵させることでうまみやコクを引き出した新しい素材「熟成卵黄」を作れないかと考えたのが、入社6年目の若手研究者。大学時代、やはり食材を発酵させる微生物、酵母を研究テーマとしていた研究開発本部 技術ソリューション研究所 機能素材研究部の宮本哲也氏だ。「卵は、糖質は少ないけれどタンパク質や脂質という栄養素は豊富。麹を使って発酵・熟成させることで、おいしさを引き出すことができるのではないかと思った」(同氏)と言う。

キユーピー研究開発本部 技術ソリューション研究所 機能素材研究部の宮本哲也氏(写真:大塚 千春)

最初は、既製の麹を使い卵黄を熟成させればうまくいくかもしれないと考えた。手に入りやすい米麹や豆麹を使い、様々な温度条件下で発酵させてみた。しかし、「おいしくはなったものの、味噌漬けのような味がでてしまった」(同氏)と言い、卵ならではのうまみ、コクを引き出すという思い描いた構想からずれてしまった。

そうした中、宮本氏が相談を持ちかけたのが、大学の先輩である麹菌の専門家・樋口松之助商店取締役の樋口弘一氏だった。樋口氏も新しい麹菌の使い方を模索しており、2人は卵麹という新素材を作ろうと決意する。

麹菌は、それがどこで成長するかで出す酵素が変わる不思議な生き物だ。米で育つと米の栄養素を分解できるように、豆で育てば豆を分解できるように変化するという。であれば、卵だけで育てた卵麹ができれば、卵のタンパク質を分解する酵素をたくさん出すはず。卵麹で卵黄を熟成させればどんどん卵のタンパク質をアミノ酸に分解、最大限にうまみを引き出すことができるのではないか。こう考え、樋口松之助商店とタッグを組む形で、キユーピーの卵麹の開発はスタートを切った。2015年7月のことだ。

麹菌と雑菌の闘い、安定するまで4年の歳月

麹作りの土台となったのは、キユーピーの業務用の粉末状の乾燥卵だ。米麹を想像すると分かりやすいが、用いる素材の表面積が大きい方が麹菌は成長しやすい。つまり、つるんとした大きな塊よりも、粒状であったり、スポンジケーキのようにでこぼことした表面であったりするものによく生えるというわけだ。

利用する麹菌は、樋口松之助商店の知見を頼りにした。麹菌には種類により、タンパク質を分解するのに適した菌、香りを出すのによい菌などと様々な特質がある。そこで、清酒作りに向いたものから、焼酎、味噌、醤油まで扱いやすい菌10種ほどで試作したという。

水分の問題も課題となった。麹菌が繁殖しやすい代表的食材は蒸し米。要はある程度の水分を粉末卵に加える必要があるのだが、まず、水を加えてもべちゃっとせずに適度にしっとりした状態になる卵があるのかを調べる必要があった。キユーピーの粉末卵製品は、全卵から黄身だけ、白身だけなど多岐にわたり、熱の加え方など加工方法も様々。そこで10数種の素材で検討したところ、幸いほどよい具合に水分を含むものがあると分かった。

しかし、本当の苦労はそれからだった。「麹菌は微生物なので水分がある方が繁殖するが、水分が多すぎれば他の雑菌も元気になる。糖質が少なくても栄養素が豊富な卵には麹菌は元気に生えることは分かったが、雑菌も繁殖しやすかった。水分量や培養温度の調整を繰り返し、雑菌を抑える方法を確立するのに長い時間を要した」と宮本氏は明かす。製造は樋口松之助商店が担い、ここでもその知見が生かされた。安定して卵麹が作れるようになるまでには、構想から4年の歳月が経っていた。