後継者不足や高齢化、ビジネスモデルなどの問題を抱え、衰退の危機に瀕する日本の水産業。しかし、東日本大震災で多くを失った三陸地域の石巻から、新しいムーブメントが生まれ、希望の輪が国内外に広がっている。そのムーブメントを起こしているのは、35歳の漁師が代表を務める一般社団法人フィッシャーマン・ジャパンだ。人手不足に悩む漁業に若者を集め、海外マーケットも切り開こうとしている。同団体の活動を通じて、日本の水産業の明るい近未来を探る。

かつて漁業・養殖業で世界トップの座にあった日本の水産業が、今や衰退の危機に瀕している。

1980年代の後半から、漁業・養殖業の生産高は、中国・インド・インドネシア・ベトナム・フィリピンなどの国々に次々と追い抜かれ、2018年には8位に落ちた。1973年に50万人いた漁業者の数は、50年後の来年2023年には10万人台前半となると予測されており、しかもその約4割が65歳以上と高齢化も深刻だ。このままいくと日本の漁業は、近い将来、消滅するのではという不安を抱く関係者も少なくない。

一方で、海外では、高まる健康志向とともに魚食が人気で、この30年で消費量が2倍になっている。また流通システムを見ると、冷蔵・冷凍の状態で生鮮品を生産地から小売まで流通させるコールドチェーンの発達により、魚介類輸出のハードルが下がっている。それにも関わらず、日本の水産業は世界全体の潮流に乗れず、稼ぐチャンスを活かせていないという惜しい状態にある。

しかし、そんな流れの中でも、明るい未来を創ろうとする動きが生まれている。

「新たな3K」で未来の水産業を提案

ここ数年、注目を集めている漁業分野の取り組みがある。東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市発、2014年7月に設立された一般社団法人フィッシャーマン・ジャパンのそれだ。

フィッシャーマン・ジャパンの構成メンバーによるイメージ写真(写真提供:フィッシャーマン・ジャパン)
フィッシャーマン・ジャパンの構成メンバーによるイメージ写真(写真提供:フィッシャーマン・ジャパン)
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フィッシャーマン・ジャパンは、未来の水産業の形を提案する若手漁師の集団である。従来の3K、つまり「きつい、汚い、危険」な水産業のイメージを、彼らが定義する新しい3K、「カッコよく、稼げて、革新的」に変えることを狙っている。

自らを「漁師」ではなく「フィッシャーマン」と名乗る彼らは、「獲る&育てる」「加工する」「卸す」「情報収集・発信」「売る」など、新しい水産業の仕組みに関わる全ての人をフィッシャーマンと定義する。それは、漁業の本当の活性化のためには、「魚介類を獲る&養殖する」という狭義の漁業だけでなく、関係する幅広い産業との連携が必要だという考えに基づくものだ。

彼らが掲げるビジョンは、「2024年までに、三陸に多様な能力をもつフィッシャーマンたちを1000人増やす」というもの。創設から8年、着々と実績を生み出す活動の輪は、すでに国内外に広がっている。

フィッシャーマン・ジャパン立ち上げの経緯と、その活動内容を概括していこう。

震災で家も仕事場も失ったワカメ漁師が立ち上げた

フィッシャーマン・ジャパンの代表を務める阿部勝太さんは、35歳。1986年、3代続くワカメ漁師の家に生まれた。高校卒業後、「5年だけ自由にしたい」と、石巻を離れて、旅館の営業、バーテンダーなど様々な職業を経験した。

祖父の逝去に伴い、2009年に石巻に戻り稼業を継いだ。そこからさほど間を置かない2年後の2011年、東日本大震災を経験。家族は無事だったが、自宅、船、作業場をことごとく津波に奪われてしまった。

阿部勝太さん(写真提供:フィッシャーマン・ジャパン)
阿部勝太さん(写真提供:フィッシャーマン・ジャパン)
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しかし、震災後、ゼロからの復興の過程で阿部さんは、「全てを失った今だからこそ新しいことができる」と感じたという。仲間の若い漁師たちと2週間に一度、水産業の課題について話し合うことから始めた。

難問が山積みで、何から手をつけて良いかわからなかった。だが続けるうちに、昔ながらの漁業とは縁の薄いIT業界の人や、流通のプロである元商社社員など多様なメンバーが加わったことで、幅広い課題解決のヒントを得た。当時、石巻には全国から復興支援のために幅広いジャンルの人たちが集まっていたのだ。その中には、現在、フィッシャーマン・ジャパンの事務局長を務めるヤフージャパン社員の長谷川琢也さんもいた。

「漁業をカッコ良く、稼げるものにしないと未来がない」と震災前から感じていた阿部さんは、震災から3年を経た2014年夏、仲間の漁師や鮮魚店、ITや流通の専門知識を持つ他ジャンルの人も含めた13名でフィッシャーマン・ジャパンを立ち上げた。