キャッシュレス化が進んでいる中国。その中国で、お小遣いもキャッシュレスにできるアプリが登場した。ウオレットの中を親子で共有。親から子どものウォレット内にお小遣いを送金し、子どもはそれを使って買い物ができる。親は子どもが何に使ったのかを監視できるので、トラブルの回避も可能だ。果たして、一般的なインフラとして定着するのだろうか?

中国・上海に在住している筆者(日本人)が現金主体の生活からキャッシュレスに切り替えたのは2017年だった。既にスマホ決済が当たり前になっていた上海では、現地の友人知人には「今ごろ?」と呆れられた。

使い始めた理由は、コンビニやレストランの支払いをスピーディーにしたり、ポイントを貯めたりしたかったわけではない。友人との食事での割り勘、部屋の大家さんとのやりとり、取材対象者への謝礼など、身近な人たちが現金を受け付けなくなってきたため必要に迫られたからだ。上海では店舗だけでなく、友人や同僚、家族間もほぼ完全にキャッシュレス化している。現金が必要なシーンを探すほうが難しいほどだ。

子どものスマホ決済によるトラブルを解決

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左は「小宝」のトップページ(ここから先を開くには子どものデータ登録が必要)、右は「親子陪伴」の目標設定ページ

2018年秋にアリババ傘下の決済アプリ「支付宝(アリペイ)」(2019年9月時点のアクティブユーザー数は約12億人)が開設した「小宝(開設当時の名前は“親子賬戸”)」は、18歳未満の子どもと22歳以上の大人がウォレットを共有できるというもの。親から子どものウォレット内にお小遣いを送金し、子どもはそれを使って買い物ができる。親は子どもが何にいくら使っているかを常に閲覧でき、一度に使う金額の限度や購入できないものなどを設定できる。他にも学費の支払い機能、ワクチン接種時期のお知らせ機能、親子が一緒に遊ぶことでポイントが貯まる機能(毎日1時間一緒に遊ぶと、教育費などに使えるポイントが貯まる)などがある。

メリットとしてはまず、現金を持たなくなった親や祖父母世代が、子どもにお小遣いやお年玉を渡すためにATMや銀行へ行き、現金を準備しなくてよくなったことが挙げられる。もう一つのメリットはトラブルの回避だ。近年、子どもが買い物をしたいときやゲームで遊びたいときなどに、親が自分のスマホを貸すシーンが増えているという。これが多くのトラブルを生んでおり、2019年9月だけでも「9歳男児が母親のスマホでゲームに5000元課金。メモ書きからパスワードを入手(参考記事)」「貯蓄4万元が消える。11歳娘がライブ配信アプリの投げ銭に使用(参考記事)」など、子どもとスマホ決済のトラブルに関するニュースが何本も報じられている。法律事務所などのウェブサイトには「子どもがアプリに高額課金してしまったが、返金してもらえるか」などの相談が、また育児相談サイトには「ゲームに高額課金した子どもをどう叱ればよいか」といった相談が絶えず掲載されている状態だ。「小宝」は、こうした親世代の悩みに応えるアプリとして注目され始めている。

だが、実際には上海の小・中学生のスマホ所有率はまだ30%ほど。小学4年生の娘を持つNさんに尋ねたところ「お小遣いは現金派」だという。理由は、「スマホを持たせるのはまだ心配」だから。買い物を自分でさせるリスクもあるが、視力の低下や電磁波の影響が気になっているという(使わせる場合は必ずブルーライトカットのPC用メガネをかけさせている)。学校側からもスマホを持たせないよう注意されているといい、ママ友間でも「小宝」を使っている人は知らないという。学費支払いなどのアプリ内機能について聞いてみると、「教科書代も遠足代も基本的に銀行振込です。学校と銀行が提携しているので、そこに割り込むのは支付宝でもまだ難しいのでは。銀行側が反発するでしょう。子ども向けというより、中高生向けではないでしょうか。まだ実験段階だと感じますね」という意見だった。

ただ、機能の一つ「親子陪伴」(親子で1時間遊ぶとポイントが貯まる機能)にはとても興味があるそうだ。子どもがスマホを持っていなくても、親だけが目標設定をして、それを実行すればポイントが貯められる。たとえば、「余計なお菓子を買い与えない」「毎日一冊絵本を読んであげる」「毎朝子どもとジョギングする」などの子どもに対する目標を設定し、実行した日を記録していくと、記録した日数によって教育、子ども用保険などに使えるポイントが貯まっていく。

上海は女性も男性同様に出世し、接待、残業、出張をこなす社会。母親のほうが忙しく、父親が家事を担当し、子どもの保護者会へ出席したり宿題を見たりするという家庭も一般的だ。Nさんも外資系広告会社の部長として働く母親だが、子どもとの時間は大切にしたいと考えている。子どもとの遊び方やコミュニケーションを提案してくれるアプリは常に気になっているという。