伝統的な製法で作られる乙類焼酎は、宮崎や鹿児島をはじめとする九州の酒造メーカーが国内生産の約8割を占めている。そんななか、日本酒の酒蔵が数多くある会津地方で、5軒の米作り農家によって設立された小さな焼酎メーカーがある。福島県只見町の合同会社ねっか・奥会津蒸留所である。ユネスコエコパークにも登録された自然の中で作られる米焼酎「ねっか」はどのように生まれ、どのような未来をめざしているのか。代表を務める脇坂斉弘さん、そして、役員のひとりで農業を営む馬場由人さんに話を聞いた。

米から作ってこそ本物の地酒になる

2016年7月にねっか奥会津蒸留所を設立するまで、代表の脇坂さんは16年間にわたり隣町にある日本酒の酒蔵で働いていた。規模は小さいながら評判は非常に高く、全国にファンを持つ酒造会社だという。その酒蔵で脇坂さんは、酒造りの要となる麹屋(麹作り)や酛屋(もとや:酒母作り)を任され、専務にもなった。

(写真提供:合同会社ねっか)

そんな日々のなか、脇坂さんが常に考え続けていたのは、地酒とはどうあるべきか、ということだった。

「地元で採れる米を使い、地元の水と人が醸し、そして、地元の人に飲んでもらう。理想を言えば、こうでなければ地酒を名乗ることはできないと思うのです。しかし、私が酒蔵に入った当時の奥会津地方は、気候が寒冷なため酒米が育たず、よその土地から仕入れていました。ところが、品種改良や地球温暖化の影響もあったのでしょうか、何年かすると酒米を栽培できるレベルになってきたんです。そこで地元の農家に頼み込み、新潟原産の『五百万石』、福島県で開発された『夢の香』といった酒米を試験的に作ってもらったところ、とてもおいしい日本酒ができたんです」と脇坂さんは言う。

「魅力ある土地であれば自然と人も集まる。若者が暮らし続けたいと思う環境を作りたい」と語る合同会社ねっか代表社員・脇坂斉弘さん
数字は精米歩合の%。吟醸香溢れる焼酎になる所以だが、蒸留酒造りでこのように米を削るのは珍しい

この時に酒米作りに協力してくれたのが、のちに役員として一緒にねっか奥会津蒸留所を立ち上げることになる農家だった。

新たな特産品を作ってほしいという、町長からの頼み

今から5年ほど前、脇坂さんは只見町長から「只見町には特産品がない。何とか町民が自慢できるような酒蔵を作ってもらえないか」との相談を受けた。

日本有数の豪雪地であり、広大なブナ林に囲まれた奥会津。ここで生み出される清らかな水が全てを育む(写真提供:合同会社ねっか)

当時、地ビールや地酒は人気で、町おこしの手段としても注目を集めていた。ただし話題にはなっていたものの、日本酒に関して言うなら、国内の消費量は最盛期の3分の1にまで落ち込んでいた。酒造免許を発行する国税庁の立場からすると、新たに免許を出しても既存の業者を圧迫するだけで、全体の税収増はまったく見込めない。これは焼酎も同じことで、輸入量の多いワインやウイスキーなどを別にすると、酒類の製造免許が新規に発行されることはほぼ100%なかったのだ。

残された手段として、廃業した酒蔵から免許を買い取るという方法もあった。だが酒類の製造免許の売買相場は途方もなく高額で、中小規模の会社が手を出せるものではなかった。

「現実的には新たな酒蔵を立ち上げることは不可能だったので、町長からの話もその場でお断りしたんです」と脇坂さんは当時を振り返る。

ところが、それから2年ほどたった時、知り合いの地域振興アドバイザーから「特産品焼酎製造免許」という新たな免許制度があることを教えられた。

地域振興のための特産品焼酎製造免許を取得

特産品焼酎製造免許とは、規制緩和の流れのなか2015年に新設された免許である。経済産業省がその市町村の特産品と認める原料を使うなど、いくつかの条件を満たせば新規の免許取得ができるというもの。いわば地域振興を促すための制度だ。

それを機に、脇坂さんは勤めていた隣町の酒造会社を辞めて、この免許を取得し、地元只見町に焼酎の酒蔵を起こす決心をする。だが、実際に免許を取得しようとするとこれが意外なほど大変だったという。

「一番のハードルは、最初の年から10キロリットルの焼酎を生産しなければならないことでした。しかも申請に際して、この10キロリットルの焼酎を確実に販売できることを証明する書類まで必要になります。ちなみに10キロリットルの焼酎というのは、720ml入りの四合瓶に換算すると、およそ2万本です。昔からの取引先に話すとすぐに脇坂が作る焼酎なら……と、売買契約書に判を押してくれました。しかし、初めて作る焼酎が本当に売り物になるかどうかなんて、誰にも分からない。まるでギャンブルでしたよ」と脇坂さんは笑う。

酒蔵立ち上げに賛同した仲間うちでも、もう少し様子を見た方がいいのではないかという意見は出たが、それはすぐに打ち消された。蒸留所設立に向けた歩みを一度止めてしまえば、そのまま気持ちがしぼんでしまうように誰もが思ったからだ。

そもそも彼らはみな蒸留酒が大好きで、月に一度はお気に入りの焼酎やウイスキーを持ち寄り、いつかは自分たちの育てた米でおいしい酒を醸してみたいと熱く語り合ってきた。日本酒の酒蔵で働いていた脇坂さんもその気持ちは同じで、その想いが次の一歩へとつながっていったのである。