人間と革の関係は狩の起源まで遡ることができるほど古く、現在も服飾品や家具、日用品など、あらゆる場面で使われている。そのままでは腐敗したり乾燥して固くなったりしてしまう動物の「皮」を柔らかく加工しやすい「革」にするための工程を「なめし」といい、なめし加工(tanning)を行う人をタンナーという。なめし加工はクロムという重金属系の薬品が使われることがほとんどだが、環境負荷が少ない植物タンニンを使った独自の製法で世界的に注目を浴びる日本のタンナーがいる。東京都墨田区に皮革製造工場を持つ山口産業の3代目社長、山口明宏さんである。

売り上げ減覚悟で決断した徹底的な環境配慮

明宏さんが振り返るのは5年前、ピッグスキンの一大産地、東京都墨田区で、父から家業である豚革のなめし業を継ぎ、山口産業の社長に就任した時のことだ。社長交代を期に、それまで生産の半分を占めていたクロムなめしの生産をやめ、父が開発した独自の製法に切り替えた。手間もコストもかかる、植物タンニンを使ったなめし法にすべてを切り替えるという大胆な決断だった。

山口産業株式会社代表・山口明宏さん。工場2階にある展示室の商品サンプル前で(写真撮影:中島有里子)

「とにかく循環型社会を考えて人にも自然にもやさしいものづくりをしようと完全に舵を切ったんです」

「なめし」は動物の「皮」を「革」に変化させるための重要な工程。現在、世界のタンナーのほとんどは、重金属系のクロム化合物を使って化学変化を起こす「クロムなめし」という製法をとる。加工がしやすく、安定した大量生産が可能な一方で、環境保護の点では課題があるという。

「今では世界の革製品の9割がクロムなめしといわれていますが、実はこの技術が生まれたのはごく最近。第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけて軍需用品を作るためにドイツで開発され、世界中に広まったといわれています。クロムなめしには重金属系薬品の塩基性硫酸クロムが使われます。それ自体に毒性はないのですが、熱が加わるなどして化学反応が起きると六価クロムという極めて毒性の高い物質に変化することがあります。また、なめしの工程には大量の水を使うため、クロムの排水が水質汚染の原因になることが大きな問題になっているのです」

独自製法で植物タンニンなめしの弱点を克服

クロムなめしに代わる独自の製法を開発したのは、父の宗利さんだった。転機は30年前。訪れたパリの展示会で、古くからの製法である植物タンニンでなめした革製品が並んでいるのを目にした。環境問題への関心が薄かった1990年当時の日本の革産業とは対照的に、「エコロジーな革」というコンセプトが大々的に掲げられているのに衝撃を受けた。帰国後すぐに、自社で植物タンニンを使った豚革のなめし技術の開発を始める。

「父がパリで見たのは、クロムを全く使わない方法でした。遭難した人が、自分の靴をかじって飢えをしのいだという古いエピソードがありますよね。昔の革製品は人体に無害な植物タンニンが使われていたから、そんなことが可能だったんです」

しかし環境への負荷が少ない一方で、植物タンニンなめしには弱点があった。一つは熱に弱いこと。クロムなめしの革が100℃前後の耐熱性を持つ一方で、植物タンニンなめしの革は60℃ほどまでしか耐えられない。また、繊維同士の結びつきが弱いため、薄いものは自重でも破れてしまうほど繊細だ。強度を上げるためにはなめし剤をたくさん使う必要があるため、靴底のように分厚くする必要があり、必然的に固くなる。

これではいくら環境にやさしくても用途が限られ、普及は難しい。試行錯誤の結果、植物タンニンを使いながら、クロムなめしと遜色ない強度と耐熱性を持たせることができるオリジナルの製法を生み出した。父はその製法を「RUSSETY(ラセッテー)」と命名。落ちて養分となり、翌年花を咲かせる朽葉(ラセット)にちなんでいる。

ドラムを回転させて酵素処理をする作業を終えた原料皮。なめしの前に行う重要な行程だ(写真撮影:中島有里子)
ドラムから出された原料皮。ここからなめし、染色などを経て「革」となり、さまざまな製品となっていく(写真撮影:中島有里子)

「人と環境にやさしいものづくりをしようという考えを込めています。当社の革を実際に触ってみていただいて一番驚かれるのが柔らかさ。それでいて非常に丈夫です。牛革の製品の内張りとして使っていただいているお客様がいるのですが、0.3mmという非常に薄い状態にすいた上で、固い牛革とミシン縫いにしても破れません。従来の植物タンニンなめしでは考えられなかったことです」

欧州の超一流ブランドの唯一の供給元に

クロムなめしと植物タンニンなめしの「良いところどり」の画期的な製法だったが、世の中に浸透するには時間がかかった。

「30年前に始めた時の生産量は微々たるものでした。最初に銀座の百貨店との取引が始まり、徐々に価値を理解してくださるクライアントが現れ始めましたが、実際は全生産量の10分の1にも満たないような状態が何年も続いていました」

当時、クロムでなめされた革の10センチ四方あたりの平均単価は13円。他方でラセ ッテーは18円で売り出していた。付加価値を理解してもらうために、無料の見学会やSNSの発信をはじめ、助成金があれば商品紹介のウェブサイトの製作につぎ込むなど、商品の魅力や環境配慮の取り組みを知ってもらうためにあらゆる手を尽くした。

この努力が功を奏し、山口産業のラセッテーは徐々に国内外での知名度をあげていく。やがて、クロムなめしの倍の単価がつくようになった。

「環境に優しいものづくりをしようという純粋な思いで父が始めた事業ですが、付加価値を高めることで他と差別化すれば経営的にもメリットがあることはわかっていました」

なめし・染色・乾燥を終えたラセッテーレザー。製品基準が非常に厳しいヨーロッパの某有名ブランドからのオーダー品(写真撮影:中島有里子)