社会に隠れた「未知なる益」を発掘し、事業創出や公共サービスに応用しようとする研究活動が始まっている。「不便益」研究の第一人者である京都先端科学大学教授の川上浩司氏(不便益システム研究所所長)と東京大学の平岡敏洋氏(同大学特任教授/不便益システム研究所)、スマイルズ、広告大手の電通などが中心メンバーとなり、「Undiscovered Benefit(不便益を含む未知なる益)」の共同研究コミュニティを立ち上げた。2021年4月から、一般企業の参加者を交えた共同研究活動の第一期をスタート。スマイルズのCCO(チーフクリエイティブオフィサー)である野崎亙氏、川上氏と平岡氏らによるゼミ形式を取り、未知なる益の定義を深掘りしながら、商品やサービスへの実装の可能性を探る。スマイルズはコンサルティングサービスのほか、スープ専門店「Soup Stock Tokyo」、ネクタイ専門店「giraffe」、セレクトリサイクルショップの「PASS THE BATON」などを展開する(飲食事業は子会社のスープストックトーキョーが担う)。

「Undiscovered Benefit(不便益を含む未知なる益)」の共同研究コミュニティでは、主要テーマの1つとして「不便益」を掲げている。不便益とは京都先端科学大学の川上氏や東京大学の平岡氏が研究してきたテーマで、「不便であること」から逆に得られるメリットのことを指す。例えば、「車道と歩道の区別をつけないことで通行者の注意を喚起する(シェアード・スペース)」「あえて階段を使わざるを得ないように高齢者ホームを設計することで、入居者の身体能力の低下を防ぐ」といった例がある。

共同研究コミュニティの取り組みにおいては、研究範囲を不便益から拡張。技術レベルの進化などによって逆に際立つ「未知なる益」を広く探索し、社会実装を見据えた実践的な研究を進めていくという。

「未知なる益」の解明によって、日本の産業界にどのようなメリットが生まれそうか。また、研究成果をどのように社会実装していくのか。コミュニティ設立の経緯や活動状況、今後の展開について、コミュニティを主導する企業の1社、スマイルズで「未知なる益」のコンセプトメーキングに携わった、同社取締役CCOの野崎亙氏に話を聞いた。

──まず、共同研究コミュニティで主要テーマの1つに据えている不便益とはどういうものなのか、改めて教えていただけますか。

野崎亙氏(以下敬称略):「不便そのものが益の本質になっている」ような事象を指します。第一人者である川上教授がよく例示されるのですが、富士山に登るような場合、山頂までエスカレーターで楽に登れるようになると、多くの人にとって山登りの魅力がなくなるでしょう。富士山に登る人にとって、「山頂に行く」ことだけでなく「徒歩で山に登る」という不便を享受すること自体が便益や価値になっているんです。

不便益は最近よく話題に上がるようになっていますし、ビジネスで利用されるケースも見出すことができます。例えば、あるホテルのエントランスは、川から船に乗らないと入れないようになっています。このようにあえて不便にすることによって、宿泊客は船に乗ったり景色を眺めたりする体験ができますし、日常から非日常に入る特別な雰囲気を感じることができるのです。

──不便な仕組みが、ホテルでの体験価値を際立たせていると考えられますね。

野崎:近年、マニュアル車の販売が拡大しているそうです。今後自動運転が普及すると、あえて(運転の醍醐味が感じやすい)不便なマニュアル車にも乗りたいというユーザー層が今以上に顕在化するでしょう。これも不便益の分かりやすい例だと思います。

──効率化や自動化が推進される中で、相対的に不便であることの益も顕在化されていく。そうした不便益をあえて取り込んだテクノロジーの開発もありうると考えています。そこで、共同研究コミュニティでは、技術の発達が著しいこの時代において、不便益やその近似する益や価値を見つけ出して体系化し、商品やサービス実装のヒントを得ようというわけですね。

野崎:はい、そうです。ただし、これまで川上先生のような研究者が進めてこられた学術的な意味での不便益はかなり定義が厳しく、対象が限定されています。

野崎亙(のざき・わたる)氏
野崎亙(のざき・わたる)氏
スマイルズ取締役・CCO(チーフクリエイティブオフィサー)。Smiles: Project&Company主宰。京都大学工学部卒。東京大学大学院修了。2003年、株式会社イデー入社。3年間で新店舗の立ち上げから新規事業の企画を経験。2006年、株式会社アクシス入社。5年間デザインコンサルティングという手法で大手メーカー企業などを担当。2011年、スマイルズ入社。全ての事業のブランディングやクリエイティブの統括に加え、入場料のある本屋「文喫」など外部案件のコンサルティング、プロデュースを手がける(写真撮影:高下義弘)