脳科学と技術の統合を目指し、理化学研究所 脳科学総合研究センター(理研BSI)とトヨタ自動車が立ち上げた「理研BSI-トヨタ連携センター」。研究の目的の一つは車の運転支援技術を進歩させることだ。脳の働きを可視化し、人が脳から指令を受けて身体を動かすメカニズムを解明しようというものだ。適用先は運転支援に限らない。脳卒中よって損傷を受けた脳の回復や、身体の動きを取り戻すためのリハビリテーションにも役立てようとしている。

脳が身体の筋肉を制御する仕組みを解明し、それを人工的に再現する。実現すれば、私たちの活動を支援するロボットやデバイスを作りだしたり、脳卒中などによる後遺症を克服するリハビリを提供したりできるようになるかもしれない。

そうした観点で研究を進めているのが理研BSI-トヨタ連携センターである。「認知行動科学連携ユニット」「脳リズム情報処理連携ユニット」「知能行動制御連携ユニット」という3つのユニットが連携しながら、「ニューロドライビング」と「ニューロリハビリ」という2つのテーマの研究を進めている。前編で紹介したように、ニューロドライビングでは認知行動科学連携ユニットが中心となり、人間の能力に合わせた運転支援を行う車の実現に取り組んでいる。一方、ニューロリハビリでは脳リズム情報処理連携ユニットと知能行動制御連携ユニットが中心となって、身体機能と脳の働きの可視化に取り組んでいる。

脳卒中からの身体機能回復に新たなアプローチも

脳には、眼で見た情報を処理する「視覚野」、耳で聴いた情報を処理する「聴覚野」、体に運動の指令を送り出す「運動野」など、異なる働きを持つ領域が存在する。最近の脳科学の研究では、「人が何かを認識して行動するときには、その行動に関係する複数の領域が同期して情報伝達を行っている」という仮説がある。脳リズム情報処理連携ユニットでは、その仮説を確認するため、60個ほどの電極が付いたキャップを使って健常者の脳波の振動を測定し、脳の領域の同期を調べる実験を行った(写真1)。

(写真1)電極付きキャップによる脳波計測の様子

実験では被験者に、まず右手もしくは左手を使った簡単な運動を行わせる。その際、次に行う動作が右手を使う運動なのか左手を使う運動なのかを、色や矢印を使って視覚的に予告した。その結果、被験者が予告を認識する際には、視覚野近辺と運動野近辺で脳波の振動が同期している様子が見られた。さらに、右手での運動を予告した場合は脳の左半球の運動野近辺で、左手での運動を予告した場合は右半球の運動野近辺で脳波の振動の強さの変化も見られた。

別の実験では、視覚野がものを認識する様子を調べた。人は、フィルム映画やパラパラ漫画などのように、静止画を連続して見せられると動画として認識する。そこで、2枚の静止画を素早く交互に見せ、動画として認識した時の脳波の振動を計測した。その結果、左から右に動くもののように、左右の視野にまたがった動きを認識した場合、両眼で見ていても、左右の半球に存在する視覚野間で脳波の振動の同期が観察されることが分かった。左の視野内もしくは右の視野内だけで動きを認識した場合は、左右の半球間の視覚野の同期は低下した。

これらの実験と他のグループの研究によって、人はものを認識したり行動したりする際に、さまざまな役割を持つ脳の領域を組み合わせて同期させ、情報伝達を行うネットワークを作っていることが分かってきた。

一方、最近は安静時(何もしていないとき)の脳活動から、人の脳機能の特性が予測できることが分かってきている。そこで、脳卒中患者の安静時の脳波の振動を計測した。脳卒中は、脳の血管の一部が詰まることで酸素が届かなくなったり(脳梗塞)、破れた血管からの出血に圧迫されたり(脳出血)して、脳細胞が死んでしまう病気である。脳の右半球に細胞死が起こると左半身に、左半球に細胞死が起こると右半身に麻痺が出て、手足などの動作が不自由になる。

この実験では、脳卒中患者は脳の左右の半球間で同期が起こりにくい傾向にあることが分かった(図1)。脳全体について調べてみると、細胞死が起こった領域だけでなく、まだ生きているはずの領域間も同期しにくくなる。逆に、回復に向かっている患者ほど、脳が同期する度合いが高くなっていた。

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(図1)安静時の脳波の同期
縦軸と横軸は脳波の振動を計測した脳の各領域を示し、縦軸と横軸の交点の色が領域間の脳波の振動の同期の度合いを示す。脳卒中の患者(左)は健常者(右)に比べて、右半球と左半球の脳波の同期が低下している(森之宮病院との共同研究)。(理研BSI-トヨタ連携センターより提供)

これまでの脳科学では、例えば腕が動かないのは脳の中で腕を動かす指令を出す部分が、足が動かないのは足を動かす部分が壊れたことに原因があるとの考え方が一般的だった。しかし、脳リズム情報処理連携ユニットの研究結果に基づくと、「脳卒中による機能障害は、脳の領域間で情報伝達を行うネットワークがうまく働かなくなることにも原因があると捉えられる」(脳リズム情報処理連携ユニット ユニットリーダー 北城 圭一氏)。

脳の障害によって脳が同期しなくなる理由はまだ分かっていない。ただ、これをシステム障害と捉えると、後遺症改善のアプローチも考え方が変わってくる。例えば、脳に電気を流すなど周期的な刺激を与え脳波の振動の同期を促すことで、機能を回復させる。脳を磁気で刺激するTMS(Transcranial Magnetic Stimulation:頭蓋磁気刺激)や、微弱な電流で刺激するtDCS(Transcranial Direct Current Stimulatiuon:経頭蓋直流電気刺激)といった方法である。

TMSによって脳を刺激すると、脳波の振動をリセットしたり、振動リズムや同期を操作できることが脳リズム情報処理連携ユニットの研究で分かっている。脳を周期的に刺激して特定の周波数の同期パターンを人工的に作れば、脳の領域間での情報伝達や身体を制御する機能の回復を支援できるかもしれない。なお、脳波の同期と認知症との関連性も興味深いが、現時点ではアルツハイマーや認知症が脳波の同期にどう影響を与えているかについては分かっていない。