町の中を歩いているのに、まるで森の中を歩いているように感じさせてくれるロボット。3本目の腕を自由に使って、身体能力を拡張してくれるロボット――。これまでのように、人間の作業を代行したり、支援したりするのとは違うタイプのロボットが、徐々に現れてきている。人間の心や体を豊かにし、人間の可能性を広げてくれるものだ。

ロボットの活用法はさまざまだ。産業分野では、工場で人間の能力を超える仕事を黙々とこなしてくれるロボットもあれば、人間と並んで一緒に仕事をこなす協働ロボットの研究も進んでいる。家庭に目を向けると、部屋の中を自律的に動き回って掃除をしてくれるロボットが家事の負担を減らしている。医療や介護の分野でも、診療の補助や介助者の仕事を支援するロボットが徐々に広がりつつある。

なぜ人間はこのようなロボットを作り出したのか。その理由は、技術革新によって人間の生活や暮らしに余裕を持たせ、より豊かなで健康的な生活を提供することだった。実際、さまざまな技術革新や医学の進歩などによって人間の平均寿命は年々延び続け、2016年の統計では世界全体で72歳にまで達している。

この傾向に対して、予防医学研究者の石川善樹氏は「人間の寿命は延びているが、それによって誰もが豊かで健康的な生活が得られたと言えるのだろうか」と疑問を呈する。世界保健機関(WHO)によると、健康とは「病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態(ウェルビーイング)にあること」と定義されている。1958年を基準に1987年までの日本における「一人当たりGDP」と「主観的ウェルビーイング」を測定した調査では、GDPが右肩上がりで伸びる一方で、ウェルビーイングの推移にはほとんど変化が見られなかったという。「結局、GDPが上がって物質的に豊かになっても、ウェルビーイングの観点では人々は豊かさを実感できていない」(石川氏)。

一方、人々の時間の使い方はどのように変化してきたのか。別の調査によると、さまざまな技術革新によって男性は仕事の時間が減り、女性は家事の時間が減ってきた。「しかし、人はせっかく余った時間をポジティブに使うのではなく、目的もなくただテレビを見たりスマートフォンを使ったりする時間に充てている」(石川氏)。

このような調査結果から石川氏は、「これまで人間は生活や暮らしを豊かにするためにさまざまな努力をしてきたが、生活の質的向上にはあまり貢献してこなかった」と述べる。このギャップを埋めることで、人間の心をどのように豊かなものにしていくかが、予防医学の見地から大きな課題となっているという。

人間の心を豊かにするロボット

課題解決のポイントの一つが、都市生活者が日頃から感じている「退屈」をいかにして克服するのかである。都市生活者は、「限られたスペースの中で閉じ込められた生活をしている」と石川氏は述べる。こうした生活環境の中で、人間はどのように暮らしの質を高めて心を豊かにしていくのか。

そのヒントになったのが、「宇宙船の中でいかに快適に過ごすかの研究だった」(石川氏)。宇宙飛行士は少しでも自由な時間があると、宇宙船の窓から地球を眺めているという。それが何よりも、心の癒やしになるというのだ。そして、宇宙飛行士は地球を眺めることで、「感謝の気持ちが湧いてくる」「行動に責任感が生まれる」「小さなことにくよくよしなくなる」などのオーバービュー効果が得られている。このような効果を都市生活者が日常生活の中でも得られるようになれば、心を豊かにできるのではないか。そのためにロボットを活用できないかと石川氏は考えた。

例えば、日常の基本動作において「歩く」ことをエンリッチする(豊かにする)ロボットの創造だ。人間は寝ている時間を除くと、大抵は立っているか座っているか歩いているかのいずれかの状態にある。このうち、立っている状態と座っている状態をエンリッチするツールはすでにさまざまなものが存在している。「しかし、歩いている状態をエンリッチするツールは、歩きながら音楽を聴くという体験を提案したウォークマン以来、登場していない」(石川氏)。

新たに歩くをエンリッチするために、都市を歩きながら自然の中を歩いているような癒やしを感じさせることはできないか。人間は自然の中で、聴覚、視覚、嗅覚、触覚などさまざまな感覚を通じてマルチモーダルな刺激を受ける。このマルチモーダルな刺激が癒やしを産み出し、心を豊かなものにするという。

そこで、石川氏が進めているのが、自然の中にいるようにマルチモーダルな刺激を人間に与えてくれるロボットだ。

現時点での試作機は、手のひらに収まる触覚デバイスを使ったシステムだ。このデバイスを握って歩くと、室内を歩いているのに、雪道や落ち葉の上などを歩いているような感覚が手のひらに伝わる(写真1)。手の感覚器官は体の中でも特に敏感になっているので、触覚だけでも人間に周りの環境を錯覚させられるという。この感覚に聴覚や視覚などの刺激が加えられるロボットを開発すれば、町中を歩いているのに自然の中にいるように感じ、心を豊かにしてくれるオーバービュー効果のようなものが得られるかもしれない。

(写真1)手のひらに触覚を刺激するデバイス(左)を握って足の動きに音を連動させれば、さまざまな錯覚を与えられる