義足の選手に特徴的な脳活動

走り幅跳びで8.48mという、健常者の世界記録に近い大記録を持つ義足のアスリートがいる。パラリンピックで2度の金メダルを獲得している、ドイツのマルクス・レーム選手だ注5)図8)。中澤氏は、あるテレビ番組の制作協力でレーム選手の脳を、機能的磁気共鳴画像法(fMRI)を用いて調べる機会を得た。下肢の筋肉を動かすときに活動する1次運動野の領域を把握するために、同装置内で足関節、膝関節、股関節をそれぞれ動かしてもらい、その際の脳活動を記録した。

注5)パラリンピックなどでは選手の障がいの程度が成績に影響しないように、障がいの種類と程度ごとに種目を分けた「クラス」がある。レーム選手が金メダルを獲得したクラスは「T44」(2017年シーズンまで片下腿切断の選手に適用)。23歳で世界チャンピオンになったときは「F44」というクラス。
図8 義足で8.48mの驚異的な記録
図8 義足で8.48mの驚異的な記録
男子走り幅跳びT64の世界記録を持つドイツのマルクス・レーム選手。14歳のときに事故で右足の膝関節から下を切断した。パラリンピックでは2012年のロンドン大会と16年のリオ大会で金メダル。18年の欧州選手権で8.48mの世界記録を樹立した。ちなみに健常者の世界記録は8.95m。(写真:アフロ)
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図9を見ると、右側(義足側)の膝関節を除き、いずれの関節周囲筋を随意収縮させた場合も反対側の運動野を中心に強い活動が観察された。しかし、右側の膝関節周囲筋を動かすときだけは両側性の運動野活動が認められた。こうした両側性は健常者にはほとんど見られない。右側の脳は単独で体の左側を動かし、また逆も然りである。

図9 義足側のみに特徴的な脳活動
図9 義足側のみに特徴的な脳活動
マルクス・レーム選手が下肢関節周囲筋を収縮させたときに活動が見られた脳活動領域。義足側の膝関節周囲筋の活動時にのみ、両側性の運動野活動が観察された。(図:中澤公孝)
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さらに中澤氏は、義足の非競技者と健常者の走り幅跳び選手、それぞれ複数人の脳も同様に調べた(図10)。その結果、両側性の運動野活動が認められたのはレーム選手の義足側膝関節のみだった。

図10 レーム選手、義足の非競技者、健常者の走り幅跳び選手の膝関節周囲筋収縮時の脳活動領域の比較
図10 レーム選手、義足の非競技者、健常者の走り幅跳び選手の膝関節周囲筋収縮時の脳活動領域の比較
両側性の運動野活動が認められたのは、マルクス・レーム選手の義足側膝関節のみ。(図:中澤公孝)
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では、この脳活動はレーム選手に特有のものなのか。走り高跳びT64のアジア記録を持ち、パラリンピックで4位の記録を持つ鈴木徹選手の脳も調べた。すると、レーム選手と同じく、義足側の膝関節周囲筋を収縮させる際に両側性の活動が見られた。「義足を使ってスポーツ活動をしている人に両側の脳を使っている人が多いことが統計的優位に見られる。一方、義足を使ってはいるがスポーツをしていない人にはそれが見られない。つまり、義足+特定のスポーツトレーニングでその活動が起きる」と中澤氏は話す。

健常者超える記録の秘密

パラアスリートの世界記録が、ほぼ同等の条件における健常者アスリートの記録を超えている競技がある。下肢に障がいを持つ人を対象にしたベンチプレス競技の「パラ・パワーリフティング」だ(図11)。最重量級のイランのシアマンド・ラーマン選手の記録は310kgで、健常者を10kg上回るという注6)

図11 パラ・パワーリフティングの競技の様子
図11 パラ・パワーリフティングの競技の様子
下肢に障がいを持つ人を対象にしたベンチプレス競技。足にベルトを巻いて体を固定し、バーベルを持ち上げる。写真は男子88kg級の大堂秀樹選手。2019年2月の第19回全日本選手権で撮影。(写真:西岡浩記)
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注6)ラーマン選手は20年3月に、心臓発作で他界した。ちなみに、パラリンピックでは12年のロンドン大会と16年のリオ大会で金メダルを獲得した。なお、パラ・パワーリフティングには障がいの種類や程度による区分はなく、男女ともに体重別に分けられた10階級ごとに競技を行い、順位を競う。

そこで、中澤氏はパラ・パワーリフターの神経科学的な特性を調べた注7)。興味深い結果が出たのが、握力計を握るグリッピング実験だ。被験者には事前に測定した自分の最大握力の10%、20%、30%をそれぞれ20秒間発揮する課題を課した。すると、パワーリフターが発揮する力が健常者に比べて安定していることが判明した。

注7)具体的には、親指と人差し指でものをつまむ動作(ピンチング)、握力計を握る動作(グリッピング)、上腕に力を入れて腕全体を上に挙げる動作をそれぞれする際に働く脳領域をfMRIで測定し、健常者と比較した。その結果、パワーリフターは肩回りなど上腕筋を動かす際に脳の広い領域が活動しており、指の筋を動かすときの活動領域が広い健常者と異なっていたという。

そこで同氏はグリッピング力に着目し、スポーツを行っているか否かは無関係に、複数の脊髄損傷者(SCI)の協力を得て同実験を行った。その結果が図12で、多くのSCIがパワーリフターと同様に健常者より安定的に力を発揮できることが分かった。「SCIの中でも、運動機能だけでなく感覚も麻痺している脊髄完全損傷者の手の機能は健常者よりも明らかに優れている。これは、脳の再編が加速して、代償的に上肢の機能が発達したからと考えられる」(同氏)という。

図12 脊髄損傷者と健常者のグリッピング力安定性の比較
図12 脊髄損傷者と健常者のグリッピング力安定性の比較
脊髄損傷者(SCI)と健常者がそれぞれ、最大握力の10%、20%、30%のグリップ力を20秒間維持したときの結果の典型例。SCIの方が安定していることが分かる。中でも、運動機能と感覚機能の両方を喪失した人(脊髄完全損傷者)の方が安定性が高かったという。(図:Nakanishi et al. Exp Brain Res (2019)より中澤公孝が改訂)
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さらにグリッピングで最大握力の20%を発揮する課題を課したときの、健常者と脊髄完全損傷者の脳の活動領域を比較した(図13)。これによると後者の方が活動領域が少なく、神経活動的に効率が高いという。同様の現象は、例えばサッカー選手が下肢を動かす際にも見られ、スーパースターのブラジルのネイマール選手が参加した実験では、彼の脳活動領域が参加者の中で最も少なかったという事例もあるようだ。

図13 力調節課題を実施している際の健常者と脊髄完全損傷者(SCI)の脳分析
図13 力調節課題を実施している際の健常者と脊髄完全損傷者(SCI)の脳分析
最大握力の20%を発揮する力調節課題を実施したときの、健常者と脊髄完全損傷者の脳に観察された活動領域の比較。脊髄完全損傷者の方が、活動領域が少ないことが分かる。(図:中澤公孝)
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障がいと厳しいトレーニングで再編が進んだパラアスリートの脳からは、今後も新たな発見が生まれそうだ。