一流選手の見方は武道の達人的!?

――「見る」ということも、奥が深そうです。

柏野:例えば球種の違いを何で判断しているのか。変化球とストレートをきれいに打ち分けている打者に聞いても、「全く区別がつきません」と言います。ソフトボール日本リーグ1部の選手を対象に、VR(バーチャル・リアリティ)で、速球のフォームから遅球(チェンジアップ)が来る場合と遅球のフォームから速球が来る場合に入れ替えて打ってもらう実験をしてみると、正しい組み合わせだと打てていた打者が全く打てなくなりました。しかも、誰一人、フォームが入れ替わっていることに気が付きませんでした。ということは、打者本人は意識していないけれども、脳はちゃんとフォームの違いをとらえて判断していたわけです。

また、よく「ボールを手元までよく見て打て」と言われますが、本当にそうでしょうか?実は、プロレベルの打者には、手元までずっと見ている人はいませんでした。あるところまでは視線がボールを追跡しますが、そこから視線はボールの予測通過点に先回りし、それ以上は追わないのです。視線をボールの先に飛ばすタイミングが1軍と2軍の打者では異なっていて、前者はインパクトの約0.1秒前までボールを追跡していますが、後者は約0.2秒前までしか追跡していませんでした。このわずかな「目切り」のタイミングの違いが、一流の打者と、一歩及ばない打者の違いになっていることがわかったのです。

一流の打者ほど、投手そのもの、ボールそのものはよく見ていないと言います。どこかを凝視するわけではなく、ぼうっと見ているようだけれども、実験を工夫して計測するとちゃんと情報をとらえていることがわかるのです。一流になればなるほど、おそらく守備位置の変化やベンチの雰囲気、どういう場面であるかといったさまざまな情報も利用しているのでしょう。武道の達人のような、そういう世界なのではないかと思います。

「頭を使わない野球」になるか、人間の面白みが出るか

――アナリティクスのその先、スポーツ脳科学の解明が進んだ未来は、どのようなものになっていると考えますか。

柏野:個人的にはイチローさんの引退会見の時の言葉が気になっています。「僕がメジャーに来てから2019年の今日では、全く違う野球になった。野球は本来、頭を使わないとできないスポーツなのに、頭を使わなくてもできる野球になりつつある」という趣旨のことをおっしゃったんですよ。さらには、「これを言うと問題になりそうだな」と口を濁しつつ、「日本の野球は米国の野球に追従する必要は全くなく、頭を使う面白い野球であってほしい」と。

その言葉の真意が何であるかはご本人に聞いてみなければわかりませんが、私の想像では、「統計的なアプローチが普及することによって、この場面はこうするべきだというデータから導かれたものが与えられ、選手はそれに従うだけになりつつある」という状態に対して警鐘を鳴らしたのではないかと思っています。

データに反映されていない部分まで、一流の選手はちゃんと感じて動いています。そういう能力のあるなしが、実はいい選手とそうでない選手をわけるところなのかもしれません。

――そう考えるとスポーツアナリティクスが進めば進むほど「頭を使わない野球」になるとも考えられますが、いい選手はデータ化できない部分をきちんと感じて読み解いている。奥が深い世界ですね。

柏野:その部分までセンシングできて解析できるようになった時、イチローさんが言うような方向で、より頭を使わない野球になるのか、逆に人間の面白さを見せる方向に働くのか。そこがさらなる焦点になるのだと思います。

(写真撮影:吉成 大輔)

最近は、選手に着せたシャツ型のウエアラブル機器を通じて心拍のデータが取れるようになっています。これを取っていて一つ見えてきているのは、いい投手ほど練習から心拍数が結構高いということです。練習の時と本番の時とであまりにも状態が違うと、学習したことをそのまま出せなくなりますよね。脳は観客がいるとか、さまざまな背景も含めて学習し、それを発揮するということをしています。運動そのものと環境や情動といった背景とは切り離して考えられがちですが、脳と心はそうではない。

指導者は練習の時にも試合のような緊張感を作り出すために、厳しい言葉、時には暴言を投げかけるということもしています。ただし、研究が進めば、そういう指導ではない、本番で力が発揮できるための練習の取り組み方も見えてくるかもしれません。