さまざまな「制約」にベストな解で答える工夫

「ただ」と永瀬氏。「観客と選手の一体感を一番に考えつつも、360度ほぼ同じ断面になる構造は、できるだけ同じプランを連続させることで設計期間や工事期間を短縮する狙いもありました。それが、360度全周型のリボンボード(縦約1メートル)がきれいに映える効果やLED照明、音響設備を均等にバランスよく設置できるというメリットにつながりました。結果的に機能的にも優れた構造になったと思います」

オリンピック後に一般開放される「空の杜」(写真:吉成大輔)

さらにもう一つ、この観客席の構造には国立競技場ならではの立地条件が関係していた。実は国立競技場の敷地面積約11万平方メートルは、国内最大級の約8万人規模のスタジアムを建てるには、かなり狭いというのだ。「普通に8万人のスタジアムを考えると、はみ出てしまう」(永瀬氏)ほどだという。確かに、約7万3000人を収容する日産スタジアムの敷地面積は約16万平方メートル、埼玉スタジアム2020に至っては約30万平方メートルと広大な敷地を持つ。しかも、国立競技場には周囲の景観を壊さないよう、できる限り建物の高さを抑えるというコンセプトがあった。いかにコンパクトに将来、最大8万人の観客席を増設できるスタジアムを作るか。3層スタンドや最大34度の勾配は、その答えをベストな形で導き出した結果でもあったのだ。

敷地の狭さをアイデアで昇華した例は他にもある。国立競技場はかつて都立明治公園だった場所も敷地として取り込んでいるため、旧明治公園と同じ面積分の公園を作ることや、この敷地にスタジアムを建てるためには定められた規模の有効空地を設けるなどのさまざまな制約があった。これらの課題は競技場南側の広いオープンスペースや最上階の屋外回廊スペース「空の杜」を設けることなどでクリアした。最上階を一周できる「空の杜」からは天気が良ければ富士山や東京タワー、東京スカイツリーが見渡せる。「空の杜」はオリンピック後、市民が散策できるよう開放されることになっており、東京の新名所になるかもしれない。

「試合がない日でも、365日人が集まる施設にしたい、というのは私たちのスポーツチームが重要視していることでもあります。国立競技場は他の国内スタジアムでは珍しく、何もない日でも建物の際まで近づくことができますし、最上階をぐるりと一周できる回廊も、多くの人が日常的に訪れることができるように計画しました」

「情報の庭」。日本のさまざまな情報を発信するイベントスペースとしても機能する(写真:吉成大輔)

また、球技専用スタジアムに比べ、陸上トラックがある分、芝生のピッチと観客席が遠くなってしまう欠点についても、「陸上トラックがあるスタジアムの中では非常に、観客席が近いと思います。そこはかなり高い優先順位で意識しました」と永瀬氏。同社が開発した観客席設計を3Dで行う「BOWLプログラム」を駆使し、すべての席の視界を検証して全席から競技が見られるぎりぎりのラインで設計したという。五輪後の利用については今後の議論に委ねられるが、陸上トラックを撤去して座席面をグラウンド近くまで伸ばすなどにより、8万人に増席可能な設計にもなっている。

東西に約8メートル以上の高低差がある地形を生かし、年齢や障害に関係なくすべての人がスムーズに移動できるようにした工夫も見逃せない。東側からは階段を上ることなくそのまま1層目のスタンドに直結できる動線を確保。またJR千駄ヶ谷駅から来る人も東京体育館からブリッジをつないで、段差なくスタンドに直結できるようにした。いずれもゲートを抜けてスタジアムの中に入ると、すぐ目の前にグラウンドと観客席が広がる。観客に「特別な場所に来た」という高揚感を感じてもらう狙いもあるという。

選手はここからピッチに出る(写真:吉成大輔)

さまざまな演出を可能にする映像設備も導入

全世界が注目するオリンピック・パラリンピックの開閉会式が行われる国立競技場では、照明や映像による演出も重要だ。フルハイビジョンの大型スクリーン(約9メートル×約32メートル)は可能な限り大きいものを2面導入。文字や映像を映し出すLEDディスプレイのリボンボードなどと併せ、さまざまな演出を可能にしている。

グラウンドから。写真中央にはフルハイビジョンの大型スクリーンが見える(写真:吉成大輔)

「国立競技場はナショナルスタジアムとして、オリンピックもラグビーやサッカーのワールドカップも開催できるように、という特別な施設ですので、求められる条件をしっかり実現した競技場と言えます。各スポーツ団体、車椅子使用者・高齢者・子育てグループ等の14団体、組織委員会等の方々と何度も綿密に打ち合わせを重ね、きめ細やかな配慮を設計に落とし込むとともに、各スポーツ基準や大会与件、国内法規・条例等を満たした、すべてのアスリートが使いやすく、すべての観客に安心・安全なスタジアムを実現しました。このスタジアムが世界中の人々を出迎える日本の顔となってくれることを願っています」

長年にわたる国家プロジェクトを成し遂げた永瀬氏に、最後に未来のスタジアムの可能性について聞いたところ、こんな答えが返ってきた。

「AI(人工知能)やIoT(モノのインターネット)、VR(バーチャルリアリティ)などの技術が発展していけば、人が集まる必要はどんどんなくなっていくでしょう。自宅にいながら会議やレジャー体験ができる未来はすぐに来ると思います。だからこそ逆に、その時、その場所でしか味わえない生の体験やコミュニケーションの価値が上がっていく。その最たるものが、選手と選手のぶつかり合いや観客席のファンの一体感を味わえるスポーツ観戦だと思います。国立競技場がそんな生の感動を生む場所で有り続ければうれしいですし、今後も人と人とのつながりをいかにデザインしていくかに軸を置いて、設計していきたいと思っています」