年齢を重ねるにつれ、だんだんものが見えにくくなり、音も聞こえにくくなる。程度の違いこそあれ、誰も避けては通れない。今後到来する超高齢化社会では、そういった悩みを抱える人はますます増えていく。そこで必要になるのが、視覚や聴覚に問題がある人々の情報補償を支援する技術である。そうした技術の一つに、音波に信号を載せて伝え、スマートフォンなどを使って情報配信する方法がある。

映画を見ながら、周囲と変わらず泣いたり笑ったり…。実は隣に座っているその人が視覚あるいは聴覚に問題を抱えているとしたらどうだろう。もちろん、そのほかの人の多くは健常者。情報に関する一種の“バリアフリー”が実現されたワンシーンだ。

こうしたシーンは、そう遠い未来のことではない。実際、視覚障害や聴覚障害の情報補償を支援する技術やノウハウは、既に実用化され始めている。例えば障害者と健常者が一緒に楽める「音声ガイド付きバリアフリー上映」や「字幕付きバリアフリー上映」を行う映画館は徐々に増えつつある(図1、2)。以下では、そうした仕組みを実現するための技術の一つとして“聴こえない音”を紹介しよう。人の耳ではほとんど聞き取れない高周波数帯の音波にデータを載せる「透かし音」である。とりわけイベントなどの場に親和性が高く、注目されつつある。

(図1)バリアフリー上映に対応している映画の例
最新の話題作もバリアフリーで見ることができる。(UDCastのホームページより引用)
(図2)「音声ガイド」対応マーク(左)と「字幕ガイド」対応マーク(右)
バリアフリー上映が行われている映画館のホームページなどに貼られているマーク。

情報のバリアフリーを実現するにあたって、他の利用者の使い勝手に影響が出ることは好ましくない。例えば日本語の映画であるにもかかわらず日本語字幕がスクリーンに表示されると、日本人の健常者など、その情報を必要としない人にとってはかえって見づらくなる可能性がある。意識させずに情報補償を実施するには、利用希望者だけが情報を見たり聞いたりできるようにする技術や仕組みが必要になる。

だからといって、視覚・聴覚障害を持つ人や外国人旅行者向けとして何台もの専用端末を用意するのでは、コストや運用の負担が大きい。透かし音を使えば、利用者が所有しているスマートフォンやスマートグラスにデータを配信できる。

専用アプリを用意し、利用したい人が音声ガイド、字幕、手話映像などを利用できるようにする(図3)。透かし音なら、映画館などは元々備えているスピーカーを使うだけで、場内の利用者にブロードキャストできる。

(図3)バリアフリー上映を利用するためのアプリ「UDCast」
誰でも無料でインストールでき、映画館に行く前に見たい映画のデータをダウンロードしておける。

もちろん、Wi-Fiなどの無線通信を使ってもデータ配信は可能だが、そのために通信環境を整備する必要があるし、利用者が多いと電波干渉の不安もある。接続できるデバイス数の制約もあり、安定性の面からは万全ではない。

透かし音では、情報再生の遅延が起こらないよう、データ配信の負荷が高い音声や画像、テキストなどは送信しない。これらは、利用者がスマートフォン/スマートグラスのアプリを入手する際に、一緒にダウンロードさせる。スピーカーから配信するのは、ダウンロード済みのコンテンツを呼び出し、再生するタイミングを通知する信号だけである。映画などのタイムコードと同期させて信号を送るため、遅延がなく、途中から入館しても内容に合った情報が再生される。

大抵の映画館では、上映の妨げにならないようにスマートフォンなどは通信ができない機内モードにすることが推奨されるが、透かし音はマイクで信号を受信するので機内モードにしていても問題は生じない。指向性スピーカーを使えば、配信対象とする場所を制御することも可能だ。例えば一つの音波が十分に届く範囲内でも場所(方向)によって配信内容を切り替えられる。ガラスや壁で遮へいすることで、配信する空間を制限することもできる。

現時点で映画館で行われているのは音声ガイドのサービスのみだが、字幕をスマートグラスで表示するサービスについては今年度中の導入が検討されている。また、作品によっては音声に信号を埋め込むことに抵抗を感じる制作者がいたり、映画の完成から公開までに信号の埋め込みが間に合わないこともある。そこで、本編の音声そのものを解析してスマートフォンと同期させ、無音の部分を透かし音で同期させる技術も併用されている。

音声ガイドでは、監督自らが監修した説明(監督がこのシーンで伝えたかった内容等)が聞けることもあるので、健常者にも新たな映画の楽しみ方が増えそうだ。