高齢者にさまざまな弊害をもたらすリスクのある「嚥下(えんげ)障害」。この障害を持つ人たちを中心に、再び“食べる喜び”を与えようと奮闘するスタートアップがある。パナソニックの新規事業創出プロジェクトから始まった嚥下調整食調理器開発の舞台裏を、関係者の言葉から明らかにしていく。

高齢者にとってリスクの大きい嚥下障害

食べ物を上手く飲み込めなくなる「嚥下(えんげ)障害」。高齢化とともに多くの人に起きる可能性がある症状だ。医師団体の日本気管食道科学会によれば、「物を食べる」ステップには、食べ物を「認識し」「口に入れ」「噛んで」「飲み込む」という一連の動作がある。このうち、「飲み込む」動作が嚥下に該当する。

嚥下障害が引き起こす弊害はさまざまだ。代表的な例が、食べ物を取り込めないことによる栄養低下、気道への流入である誤嚥(ごえん)による肺炎などである。「平成29年度 人口動態統計(厚生労働省)」によると、誤嚥性肺炎は2017年における主な死因の2.7%を占め、全体で7位の高い数字となっている。さらには脳梗塞や脳出血、神経や筋疾患などを引き起こす要因にもなるという。

誤嚥性肺炎は2017年における主な死因の2.7%を占める(出所:「平成29年度 人口動態統計(厚生労働省)」)
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いずれにせよ “食べる”ことは本能に基づいた欲求だけに、食事のたびに飲み込む辛さを抱えてしまえば強いストレスを感じることになる。他方、在宅介護が進む中、食事を用意する家族の負担も大きい。軟らかい介護食やゼリー食を作るテクニックやレシピは普通食とは異なり、多くの手間がかかる。

「見た目も味もできる限りそのままで、家族と同じ食事を出してあげたい」――。そんな思いから生まれたプロダクトが、嚥下調整食調理器をうたう「DeliSofter(デリソフター)」である。

デリソフターの試作機(写真:小口正貴)
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手掛けるのは2019年4月に発足したばかりのスタートアップ、ギフモ。パナソニック アプライアンス社の新規事業創出プロジェクト「Game Changer Catapult(ゲームチェンジャーカタパルト)」を出発点とし、同プロジェクトにおける事業化案件のトップバッターとなった若い企業だ。

デリソフターで調理するとフォークで簡単に形が崩れる(画像提供:ギフモ)
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“思いが強かった者”が生き残った

ゲームチェンジャーカタパルトは「未来の『カデン』をカタチにする」ことをコンセプトとして、2016年に始まった。当時、アプライアンス社の主要拠点である滋賀県の草津工場で働いていた水野時枝氏は、社内の新たな挑戦に心を躍らせ、同プロジェクトに参加することを決めた。

「祖母が嚥下障害を患っていたことがきっかけです。祖母は最後、2日間寝て2日間起きるような生活になっていましたが、それでも『食べる喜びは生きる喜び』と話すような人でした。それに昔ながらの大家族で育った私にとって、家族全員が同じ食卓を囲み、同じ食事を摂ることが日常でしたから、極力その希望に応えてあげたいと思ったのです。そこから、形も味もそのままで軟らかい食事を提供できれば、多くの人が助かるのではないかと考えました」(水野氏)

デリソフター起案者の1人である水野氏(写真:小口正貴)
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水野氏の“思い”に応えた同志が、アプライアンス社の神戸工場にいた小川恵氏だ。小川氏も両親の介護で同じような課題を抱え、水野氏の呼びかけに賛同。こうして始まった“たった2人の挑戦”はその後、多くの失敗を繰り返しながら進むことになる。

当初はゼロから介護食を作ることにこだわっていたと話す水野氏。しかし、プロジェクトでお世話になっている嚥下障害の専門家の医師に相談したところ「それがどれだけ難しいことか分かりますか?」と問われ、そこから既存の食事を軟らかくする方向に転換した。「先生は、明らかにそのほうがニーズが高いとおっしゃいました。なぜなら家庭の味はそれぞれで違いますし、それが軟らかい介護食に変身するなら安心して食べられるからです」(水野氏)。

2017年3月には、米国で最大級のIT展示会「サウス・バイ・サウスウエスト」にデリソフターのプロトタイプを出品。外国人たちにも好評を得るなど話題を呼んだ。だが水野氏、小川氏ともに品質管理が本業で、技術開発のノウハウは持ち合わせていない。そこから発展させるにはすでに限界を迎えていた。

そこでゲームチェンジャーカタパルト代表の深田昌則氏に相談し、社内での和を広げることに奔走した。そこから生まれたサークルが「Team Ohana(チームオハナ)」。このサークルを核として技術的なアイデアが続々と集まるようになり、デリソフターがブラッシュアップされていくことになる。ギフモ代表取締役社長を務める森實将氏ともこの場所で出会った。森實氏は2人から始まった挑戦をこのように評価する。

ギフモ代表取締役社長の森實氏(写真:小口正貴)
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「デリソフターの基本は水野さんが独自に作り上げたアイデアですが、テクノロジー面で未知数なところがあったのも事実です。語弊があるかもしれませんが、ゲームチェンジャーカタパルトで工場出身者はこの2人だけなんですよ。何しろ、エントリーシートを書くだけでも大変な労力ですし、ほかの参加者は圧倒的に技術開発や企画部門の人たちが多いわけですから。

一方でシーズありきで走ってしまうと、どうしても技術オリエンテッドなアイデアになってしまいます。そうなると技術が陳腐化したときに足元がぐらついてしまう。でもデリソフターは2人の熱い“思い”からスタートしたので、これまで一貫して軸がブレていない。今になって思えば、思いが強かった者が生き残ったと言えるでしょう」(森實氏)