転倒により骨折する高齢者は毎年100万人いると言われる。そのうち、4人に1人が大腿骨骨折だという。大腿骨骨折によって寝たきりになるリスクは高い。スタートアップのMagic Shields(マジックシールズ)は「転倒による大腿骨骨折が原因で寝たきりになる人をゼロにしたい」との思いを掲げ、転んでも骨折しにくい「ころやわ」と名付けた床を開発・販売している。

QoLの急激な低下を招く転倒骨折を防止

2019年11月、静岡県浜松市で産声を上げたMagic Shields。ヤマハ発動機でバイクの機械設計やデザインシンキングに携わってきた下村明司(ひろし)氏が、グロービス経営大学院で一緒に学んだ仲間とともに起業したスタートアップだ。

同社が扱うプロダクトは、転んだときだけ柔らかくなる床の「ころやわ」。転倒時の衝撃をフローリングの約半分に抑える効果があるとしている。すでに静岡県や愛知県の病院、東京都、神奈川県、静岡県、愛知県などの介護施設に導入済みだ。なぜヤマハのエンジニアが“柔らかい床”を作ろうと思ったのか。下村氏に話を聞いた。

――前職はヤマハ発動機だとか。

下村 はい。大学はマスターまで進み、ロボット工学を専攻していました。一方、自分でもレースをやるほどバイクが大好きで、バイクを作りたくて新卒でヤマハに入社したのです。もちろん、乗っていたのはヤマハのバイクです。

ヤマハには14年間勤めましたが、最も長く担当したのはモトクロス向けのレース専用バイク。ジャンプでは思いっきり飛ぶため、かなり激しく地面に着地します。私はシート開発や転倒時の外装・ラジエーターの衝突解析、トポロジー最適化(構造最適化)解析などの機械設計を中心に手がけてきました。

また、レースで親友を亡くしたことをきっかけに、アフター5や休日には独自に「人を守る」発明活動も行なっていました。強い風を吹き出して雨から人を守るバイク、折りたたみ携帯できる傘型の盾などを作り、社内のアイデアコンテストで発表していたんです。つまり、機械設計で培った技術と発明で養ったノウハウを今の事業に生かしているのです。

Magic Shields 代表取締役の下村明司氏(写真:小口正貴)
Magic Shields 代表取締役の下村明司氏(写真:小口正貴)
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――とはいえ、バイクと床はかけ離れています。ここに至る経緯は。

下村 今のテーマに取り組もうと思ったのは、2016年から通い始めたグロービス経営大学院での学びが元になっています。いろんな発明活動をしてきましたが、より多くの人に使ってもらうためにはきちんとビジネスとして成立させなければならないと考えたからです。

新規事業を検討する中で、Magic Shieldsの共同創業者となる杉浦(太紀氏)と出会いました。彼は愛知県の総合病院で10年以上にわたりリハビリに携わってきた理学療法士で、転倒骨折の患者さんを数多くケアしてきた人物。とくに高齢者の大腿骨骨折は予後が悪く、ひどい場合はリハビリして退院した1週間後に再び転倒骨折して入院というケースもあります。

私自身、祖母が転倒骨折によって寝たきりになり、とても苦しんでいた姿が目に焼き付いています。そこで医療の専門家である杉浦と話し合いながら「転倒の衝撃を和らげる床」のアイデアを思いつきました。ヤマハ時代の発明品の中に、ロッククライミングの転落・転倒の衝撃を和らげるマットがあるのですが、それは親しい友人をロッククライミングの事故で亡くしたことがきっかけで発明したもの。このときのノウハウもヒントになり、社会課題である高齢者の転倒骨折を少しでも減らしたいとの思いから起業しました。

――転倒骨折はどれほど深刻な問題なのでしょうか。

下村 日本では年間1100万人の高齢者が転倒し、骨折患者が100万人いると言われています。そのうち4人に1人、約25万人が大腿骨骨折です。さらに大腿骨骨折した高齢者のうち4割が2度と歩くことができなくなり、そのうちの半分は1年以内にさまざまな病気を併発して亡くなります。寝たきりになると十分なQoL(生活の質)を得ることが難しくなってしまいます。しかも、要介護の原因の約12%は転倒骨折によるものとのデータがある。痛みを伴う高齢者自身はもちろんのこと、介護する家族や介護・医療従事者の負担、さらには医療費の圧迫など、転倒骨折によるペインは山積みであるのが現状です。

――開発した「ころやわ」は自社サイトの動画で公開しているように、転んだ瞬間にたわんで衝撃を吸収しています。製品のメカニズムを教えてください。

下村 原理はメカニカルメタマテリアルの概念を応用しています。簡潔に言えば、素材では出せない機能性を構造体によって出す仕組み。ころやわは歩いているときは普通のフローリングと同じ硬さですが、大きな力が加わると形状が変化し、瞬時に硬さが変わります。利点は、素材や製法は何でもいいということ。我々は一刻も早い課題解決を目指しているので、量産性やコストを重視しています。工業用途では一般的なエストラマーをころやわの素材に採用しているのもそのためです。

自社サイトで公開しているころやわのコンセプト動画(出所:Magic Shields)
自社サイトで公開しているころやわのコンセプト動画(出所:Magic Shields)
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サイトで公開している動画は、衝撃の吸収がディスプレイ越しでもわかるようにコンセプトとして作った初期の試作品。厚さが10㎝ほどあり、現場で使うには不向きです。我々は製品開発の速さを強みとしており、わずか1年ほどで2㎝の厚さまで薄くすることに成功しました。

年間100万人の骨折者がいる状況で、5年で100万人にころやわを届けるにはどうすればいいのか。10年で1万人に届けることを目標にしていては意味がない。地道なものづくりの中小企業ではなく、スピード感を武器にしたハードウエアスタートアップとして活動しています。冷静に考えればかなりハードルが高いのですが、例えばテスラはそれをやってのけました。それらの先例を参考にしながら一気に普及できればと思います。

膝をつくと一気にたわんで衝撃を吸収する(写真:小口正貴)
膝をつくと一気にたわんで衝撃を吸収する(写真:小口正貴)
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