特集

「メガソーラー裁判」を読み解く、地裁の判断はなぜ覆ったのか?(後半)(page 5)

<第76回>東京高裁・伊豆高原メガソーラーに関する判決の解説

2021/07/07 12:00
弁護士法人 匠総合法律事務所 代表社員弁護士 秋野卓生
印刷用ページ

行政裁量と市民の活動との関係性について

 裁量的判断の要素として挙げた、(3)の「市議会におけるメガソーラー事業への反対決議等の存在の観点」に関しては、どうでしょうか。

 高裁は、河川が公共用物であることを根拠として、市の裁量権を広く認め、「一般社会住民の容認するものであること」についても考慮することを認めており、市民がメガソーラー事業に対して懸念を示していたことや市民運動の存在という事情を、「あながち不合理なものとはいい難いもの」と形容した上で、事業地の地区の住民との協定書締結ができていなかったことにも言及し、当該事業が、本件事業地の付近の一般社会住民の容認するものとまでは認め難い状況にあったと述べています。

 一般論として、市長は、直接選挙で選出され、地方公共団体における民意を直接反映する地位にあることから、政治的判断を要する事項については、市長の広い裁量が認められると考えられています。特に地方の実情に照らし、公共性の高い目的のために用いられることが望ましい公共用物については、通常の行政裁量よりも広範な裁量が認められ得ると考える余地がありそうです。

 しかし、条例や規則の想定しない判断を、市長が「裁量がある」からといって、許されるものとしていいのでしょうか。それとも首長である市長は中立的な判断をすべきといえるのでしょうか。

 この点、条例も法律同様、私人の代表者である議会によって制定されるものです。とすれば、法律と行政との関係において、法律による行政の原理が働き、法に反する行政行為が許されないように、本件不許可処分が、法律・条例を根拠とする処分である以上、これらが想定していない範囲での裁量を市長に与えることは許されるべきではないと考えます。

 そのため、本件では、普通河川条例及び河川法に基づき、河川敷地の占用・メガソーラー事業の展開に伴う河川やその周辺への影響について、これらの公共性の有無を中心に考慮すべきであって、これら以外の部分を含めたメガソーラー事業自体の公共性について考慮することが許されるような広い裁量を認めるべきではなかったと考えます。このため、周辺住民や市議会が否定的評価をしていた事業に関する占用の申請であったとしても、そのような評価を考慮することをもって裁量逸脱濫用がないということはできず、むしろ同事情を考慮することは他事考慮に当たり妥当でないというべきです。

 この点で、「河川やその周辺の影響とは別に申請者の事業に対する周辺住民や市議会の否定的評価をもって直ちに『一般社会住民の容認するもの』に該当せず不許可とすることは、結局、占用許可の判断において、市議会や住民…の同意を要件とするに等しく、そのような判断は、重視すべきでない事情を考慮した不合理なもの」とした地裁の判断は理に適っているといえます。

 よって、地裁では裁量の逸脱濫用が認められるとし、高裁では裁量の逸脱濫用が認められないという判断の関係にはありますが、両者を比較する場合、地裁の判断の方が妥当なものといいうるのではないでしょうか。

静岡地方裁判所の玄関
(出所:日経BP)
クリックすると拡大した画像が開きます
  • 記事ランキング