巻頭言

編集長 小平和良

2022年8月号

安倍元首相が憂慮した日本の未来

 7月8日、参議院選挙の応援で奈良市を訪れていた安倍晋三元首相が銃撃され、亡くなりました。謹んで哀悼の意を表します。

 本誌の兄弟誌である日経ビジネスでは、今年初めに安倍元首相のコラム「安倍晋三の眼」をスタートしたばかりでした。安倍氏を長く取材してきた日経ビジネスの編集委員と共に私も本誌編集長に就く直前まで連載コラムを担当しており、安倍氏に定期的に会う機会がありました。

 安倍氏が信頼する編集委員と一緒だったことが大きいとは思いますが、安倍氏は外交から経済、政局まで様々な事柄に対し、真摯に、かつときには笑い話を交えながら、自らの考えを語ってくれました。安倍氏が得意とした外交面では、各国のリーダーの意外な素顔が見えるエピソードを話してくれることもあり、日本の憲政史上で最も長く首相を務めた経験の重みを感じました。

 保守派のリーダーである安倍氏の考えや政策には同意できなかったという人もいるでしょう。ただ、その根底にあったのは日本の未来を憂慮し、現実から目をそらさずに対処する覚悟だったように思います。

 外交では、台頭する中国に対してどう対処していくのかを常に考えていました。ロシアによるウクライナ侵攻が起きた際も、この出来事がアジアにどのように波及するかとの観点が重要な話題となりました。単に「反中」ではなく、それぞれの事情や歴史を勘案しながら各国と信頼関係を築き、日本の立ち位置や存在を明確にしていく姿勢を感じました。

 また経済面では、アベノミクス「3本の矢」を打ち出し、1本目と2本目で短期的に経済を上向かせ、その後、3本目で成長軌道に乗せる戦略をとりました。今号の「大事凡事」で田村賢司編集委員が書いているように、3本目の成長戦略については道半ばです。安倍氏は日経ビジネスのコラムでも成長を追うことの重要性を強調していました。

 日本の未来を考えるときに、特に経済において大きな役割を担うのは企業です。目先の事業はもちろん大切ですが、安倍氏の残した課題に向き合い、これからの日本をつくるという気概を私たち一人ひとりが持たなければなりません。

逆境のときにこそ会社の哲学が問われる

 中国に駐在していた2014年6月、浙江省杭州市で開催された「稲盛経営哲学報告会」を取材する機会がありました。会場となった同市の人民大会堂には、中国各地の盛和塾から約2000人の塾生が集まりました。稲盛和夫氏がホールに姿を現すと、スマートフォンで何とか写真を撮ろうと、あっという間に人だかりができ、身動きが取れないほどになりました。あらためて当時記録用に撮影した写真を見直しましたが、大スターと言っていい人気ぶりです。

 報告会では、数人の経営者がときに自らの人生を振り返りながら、稲盛さんの経営哲学をいかに実践しているかを発表しました。代金の支払い遅延は日常茶飯事で、行き過ぎたトップダウンも多い中国企業の中にあって、人によっては過去の自身の経営を反省しながら、「心を高める、経営を伸ばす」を実践している話は胸に迫るものがありました。報告を聞いた稲盛さんのコメントに対し、深々とお辞儀をする経営者の姿も印象的でした。そして、これだけ多くの中国の経営者が稲盛哲学を学んでいることに改めて驚かされました。

 ちなみに会場には中国政府の標語のように赤地に白い文字で「提高心性 拓展経営」(「心を高める、経営を伸ばす」の中国語訳)の横断幕も掲げられていました。また、報告会後の「コンパ」は円卓が数えきれないほど並ぶ盛大なものだったことを記憶しています。

 中国共産党や政府による締め付けが強まっている中国で、このときに登壇した経営者たちが現在、どのような経営をしているのかは取材すべきテーマかもしれません。中国は日本を上回るスピードで少子高齢化が進んでいます。従前の経済成長は見込めず、国の成長にただ乗るだけの企業はいずれ限界を迎えます。

 今号は「新規事業の育成」と「組織の発展」をテーマに特集を組みました。共通するのは逆境にあるときほど、経営者の哲学や考えが問われるということです。そう考えると、日本でも中国でも今後ますます稲盛哲学の必要性が高まりそうです。今号から稲盛デジタル図書館の全面協力の下、稲盛さんの過去の講話を掲載する連載を始めました。自社の哲学を見つめ直す機会になれば幸いです。

「メモを取るな」と上司に言われた会議

「これから出る会議ではメモを取らないように」

 上司からそう言われ、不思議な気持ちで会議に臨んだことを思い出します。記者になる以前、化学メーカーで営業の仕事をしていた25年前の出来事です。

 私が売っていたのはナフサを原料とする汎用的な化学品でした。古くからある製品で、技術革新の余地はほとんどなく、販売している各社の製品に大きな違いはありません。勝負のポイントは価格ぐらいでした。

 原料はナフサなのでコストは原油価格次第。一方、販売価格は需要に左右されます。製品は最終的には住宅用の建材になることが多く、需要は住宅の着工戸数に影響されました。1997年は、新設住宅着工戸数がそれ以前の水準からガクンと下がった年でした。住宅着工戸数はその後も大きくは回復せず、リーマン・ショック翌年の2009年に100万戸を割り込み、今に至ります。

 会議室に入ると待っていたのはライバルメーカーの社員たちでした。需要が縮む中、限られたパイを巡って値下げ競争をしたくないのはどこも同じ。会議は、価格改定時の値上げ幅をどれくらいにするのか、大口需要家にはいくらで納入しているのかといったことを確認するのが目的でした。上司が「メモを取るな」と命じたのは、カルテルの証拠が残ることを恐れたからでしょう。

 しかし、この違法行為が明るみに出ることはありませんでした。というのも、少しでもシェアを拡大しようと抜け駆けするメーカーが必ず現れ、メーカー間の違法な「協定」は常に骨抜きになったからです。需要家側も圧倒的な価格競争力を持つ中国製の製品を商社経由で輸入し、メーカーを揺さぶってきました。

 四半世紀がたち、人口減が進む国内では様々な製品やサービスで需要が大きく増えない状況が続いています。一方でエネルギーなどの価格は急上昇しており、コスト削減では追いつかない状況です。円安も進み、安い海外の原材料を使えばどうにかなるという環境でもありません。長きにわたって販売価格の引き下げに対応し続けてきた多くの企業に値上げはできるのか。今号の特集では中小企業の「値上げ」の実態を追いました。

32期連続増収増益の背景に経営者の哲学

 ここ数年、日経ビジネスのコラム「賢人の警鐘」の取材で、ヤオコーの川野幸夫会長に定期的にお目にかかる機会がありました。

 埼玉県川越市を拠点に関東でスーパーマーケットを運営しているヤオコーは、2021年3月期まで32期連続で増収増益を達成。同期の連結売上高は5078億円で、東証プライム市場に上場する、スーパー業界を代表する1社です。

 ただ業績をさかのぼってみると、1990年代前半まで売上高500億円に満たない規模でした。ヤオコーは「失われた30年」といわれる時代の中でも着実に成長してきたのです。

 川野さんの母親は青果物や鮮魚などを売る地域の商店をセルフサービス型のスーパーマーケットに転換しました。川野さんはそれを受け継ぎ、米国式のチェーンストア理論に基づいて店舗を増やしてきました。しかし、それだけが同社の成長の要因ではありません。

 バブル経済後、日本経済が低迷し、価格競争が激しくなる中で、ヤオコーは「食生活提案型」のスーパーになることを掲げ、単純な安売り競争とは一線を画してきました。そして、豊かで楽しい食生活を提案できる売り場をつくるために、パート従業員も自らの創意工夫を生かせる「全員参加の商売」を実践しています。

 こうした経営には川野さんの「店舗がある地域の人の食生活を豊かにしたい」「従業員にいきいきと働いてもらいたい」という一貫した考え方が反映されています。ヤオコーは上場していますが、川野さんは「株主が第一ではない。お客様、従業員を優先する」と明快です。もちろんオーナー家が多くの株式を保有しているからこそ言える言葉ではありますが、川野さんは「新しい資本主義」という考え方が広まる前から、「株主第一ではない」と公言し続けています。

 川野さんはさらにこう言います。「これからはリーダーの思想や考え方がますます重要になってくる。特にオーナー企業の経営は経営者の人生哲学とつながっている」。今号ではユニークな戦略や仕組みを持つ会社を多く取り上げました。その戦略や仕組みの背景にある経営者の哲学や思想、生き様にも注目して記事をお読みください。

激変する世界で変えるもの、変えないもの

 2014年から4年半あまり中国・上海に駐在していました。今でこそモバイル決済大国となっている中国ですが、赴任した当時は支付宝(アリペイ)などのモバイル決済が普及し始めたばかり。その後、あっという間に誰もがモバイル決済を使うようになり、利があると見れば一気に動く中国のスピード感に驚きました。中国メディアによると13年から18年の5年間でモバイル決済金額は約27倍に拡大したそうです。日本に帰る頃には財布を出す機会はほとんどなくなりました。

 スマートフォンを使って簡単にお金のやり取りができるようになったことに伴って、シェアサイクルや料理の宅配サービスなども一気に広がりました。当時も南シナ海での領有権の主張など中国が強権的な姿勢に転じつつあることが問題となっていましたが、ITを駆使した新たなサービスが次々と広がり、社会と経済が変化していく面白い時期であったことも確かです。

 私が日本に帰任してから3年半がたちました。習近平国家主席が率いる中国は以前よりも強権的な面を隠さなくなりました。米国との対立は激化し、政府や中国共産党は民間企業への締め付けを強化しています。中国の電子商取引最大手、アリババ集団の創業者であるジャック・マー氏は表舞台から姿を消しました。

 世界を見渡せば、コロナ禍やロシアによるウクライナ侵攻で、企業経営の前提となる社会や経済の先行きはますます見通しづらくなっています。世界中で事業を手掛ける企業に限らず、あらゆる企業が激変する環境に対応していかなければならない時代になったといえます。

 その一方、先行きが見通しづらい中で企業を永らえさせるには、確固とした理念が必要です。14年6月、盛和塾の大会のために浙江省の杭州を訪れた稲盛和夫氏はマー氏と面会しました。「中国の企業にはもっと思想や文化が必要だと思う」。尊敬する経営者である稲盛氏を前にマー氏はこう語りました。

 今号から前任の北方雅人に代わり編集長を務めます。不確実性が増す世界で何を変えて、何を変えないのか。今後も読者の皆様のヒントになるようなコンテンツをお届けしていきます。引き続きご愛読ください。