ものづくりの民主化は不思議だった

――エクストラボールドを設立したのが50歳を超えてからと経営者としては遅咲きですが、それまではどのようなキャリアを歩んできたのでしょうか。

夜間大学時代に岩崎通信機に入社して、ものづくりの現場に携わっていました。そこで初めて3D CADソフトなどに触れる機会があり、「現場にデジタルが入ると世界が変わる」と思ったことを覚えています。

その後、格闘家としてやっていくことを目指して活動していましたが、なかなか食べていくことができずに再びこちらの世界へ。以降は工作機械プログラムのCAMツールの開発会社や3Dプリンターの代理店ビジネスなどを経験してきました。

エクストラボールド代表者の原雄司氏(出所:オンライン取材のスクリーンショット)
エクストラボールド代表者の原雄司氏
(出所:オンライン取材のスクリーンショット)

――3Dプリンターの可能性に気づいたきっかけは。

若い頃、3Dプリンターの原型となる「光造形法」を発明した小玉秀男さんのお話を聞いたことがあります。私は普通科高校出身で、夜学に通いながら就職したときに図面が読めずに苦労しましたが、理学部出身の小玉さんも同じ悩みを抱えて苦労したと記憶しています。結果的に小玉氏は「フォトレジストを積み重ねていけば立体ができる」とのアイデアを閃いたそうですが、その感覚に私は非常に共感しました。そこに未来を感じたのがきっかけです。

データを立体化してすぐに手元で見たい――これが設計者やデザイナーの欲求なのですが、岩崎通信機時代も含めて、試作を依頼する際はまず稟議書を上司に通すことに骨が折れました。本来ならば高速でプロトタイプを回すことで完成品に近づくはずなのに、稟議が通らないことで優れたアイデアが実現できず埋もれてしまうことが多々ありました。「アイデアの芽を詰まずに具現化したい」という発想は、当時からまったく変わっていません。

――2010年代前半の3Dプリンターブームについては?

実はあのブームが不思議でした。3Dプリンターだけが異常に持ち上げられることに違和感がありました。“ものづくりの民主化”という言葉とともに急速に浸透しましたが、小型切削機やレーザーカッターに比べてこなれていない方法なので、どう考えても当時の日本の産業用途には合わない要素が多いなと冷静に見ていました。いろんな人が「魔法の箱」と称賛するけれども、それはちょっと違うなと。

ただし、アウトプット装置が普及すると確実にものづくりの現場が変わると実感できたことは勉強になりました。しかし、いかんせん海外メーカーが主流で、業務用に使用するとなれば日本のものづくりにフィットしない。そこで、国内で独自開発すべきだとの思いからエクストラボールドを立ち上げたのです。