2021年の東京オリンピックでは、航空自衛隊のブルーインパルスが見事な五輪を東京の空に描いた。アクロバティックな飛行といえば、日本人の多くは戦闘機による航空ショーを思い浮かべるだろう。一方、世界ではプロペラ機で曲技を競うエアロバティック(曲技飛行)が航空スポーツとして根付いている。

室屋義秀氏は日本のみならず、アジアを代表するエアロバティックのトップパイロットとして知られる。エアロバティックは難易度に従って下から順に「プライマリー」「スポーツマン」「インターメディエイト」「アドバンスド」「アンリミテッド」のクラスがあり、トップクラスのアンリミテッドに登り詰めることは極めて難しい。満足な練習環境が整備されていない日本ではなおさらだ。

しかし室屋氏は2003年、30歳のときにアンリミテッドクラス世界選手権に初挑戦。2009年には世界最高レベルのパイロットが集う「レッドブル・エアレース」にアジア人として初めて参戦した。エアレースはその名の通り、決められたコースをいかに速く正確に飛ぶかを競うタイムトライアルレースで、最高時速は370キロ、重力加速度は最大12Gにも達するという。この極限状態のレースにおいて、2016年千葉大会で初優勝。2017年には年間総合優勝を飾り、見事ワールドチャンピオンの座に輝いた。

航空文化が盛んではない日本に軸足を置き、数々の偉業を達成してきたパイオニアはどんな人生を歩んできたのか。1973年1月27日生まれ、49歳になったばかりの鉄人に話を聞いた。

――そもそも飛行機の操縦に憧れたきっかけは。

最初は飛行機ではなく、幼稚園の頃に『機動戦士ガンダム』に憧れたんです。ガンダムを操縦するアムロ・レイが格好良くて、あんな風になりたいなと。その後、小学生のときに親が旅客機のちびっ子一人旅に行かせてくれて、そのときに本物のコックピットを見せてもらいました。「ああ、ガンダムのコックピットと同じだ」と感動して、飛行機を操縦したいと思うようになりました。

室屋義秀氏((c)Osamu Abe PATHFINDER)
室屋義秀氏
((c)Osamu Abe PATHFINDER)

――そのまま旅客機のパイロットを目指そうとは思わなかったのですか。

旅客機のパイロットになることは考えていました。僕が子どもの頃は“将来なりたい職業”のトップ3には必ず入っていましたし。空を飛びたい気持ちは持ち続けていて、進学した中央大学で航空部に入り、学生時代はグライダー競技に没頭しました。

グライダー競技は操縦士免許がないと大会に出ることはできないのですが、当時の航空部の環境では免許を取得するまで早くても2年はかかりました。僕は3年生の後半でようやく免許を取り、4年生のときに初めて大会に出場しました。その一方で、米国ではエンジン付きの小型飛行機の免許が格安で取得できるとの話を聞き、大学2年のときに米国で小型飛行機の免許を取得したのです。そこで米国の飛行機乗りの世界を間近で体験できたことが、今の自分につながっています。

卒業時には、就職氷河期という最悪のタイミングも重なりました。1つ上の学年までは旅客機のパイロットは100人ほど採用していたのですが、僕の年にはいきなりゼロですから。しかも団塊ジュニアで学生も多い世代です。適当に就職するぐらいなら、このまま飛行機の訓練を続けて、好きな道をとことん突き詰めてみようと覚悟を決めました。

超人が集うエアレースで見事チャンピオンに

――なるほど。そこからエアロバティックに挑んだわけですね。

はい。国内でグライダー教官として飛行技術を磨きながら、1997年にスポーツマンクラスで初めての競技会に参加しました。エアロバティックは上位2クラスのみ、2年に1回の世界選手権があるので、とにかくそこを目指そうと。お金を貯めては本場の米国で訓練を積むなどして、2003年には最上位のアンリミテッドクラス世界選手権に出場することができました。

実際のところ、アンリミテッドに到達するのは非常に大変です。その下のクラスまではアマチュアでも何とかこなせますが、最上位まで行くとチーム体制も含めて四六時中トレーニングしないと勝てません。必然的にプロしかいない領域になってきます。

エアロバティックの様子((c)Osamu Abe PATHFINDER)
エアロバティックの様子
((c)Taro Imahara PATHFINDER)

――ときを同じくして、2003年には決められたコースを飛んで飛行の正確性とタイムを競う「レッドブル・エアレース」がスタート。これに関してはどう思いましたか。

アンリミテッドクラスのトップパイロットだけが参戦して始まったわけですから、「すごいことが始まったな」というのが率直な感想です。当時はまるで野球少年がメジャーリーグを見ているような感覚でした。レース自体は60秒ほどなのですが、すべての飛行機が1秒のタイムを争うハイレベルな大会なので、1つもミスが許されません。まさに超人が競い合っていると言っても過言ではない。

ただ、僕もエアロバティックの世界選手権や海外のエアショー、厳しいトレーニングキャンプなどを重ね、2008年にはエアレース参戦に必要なスーパーライセンスを取得することができました。

――エアレースの初参戦が2009年。最初のレースはどんなものでしたか。

初めてのレースは、アラブ首長国連邦のアブダビで開かれた大会でした。正直な話、コースを1周回ってくるだけで精一杯で、勝負の内容など論外でした。コースを逸脱するとその時点で失格になるのですが、超高速な状態で飛行機を操縦しながら関門をクリアするのはかなりハードルが高い。まずはコースを外れずに、かつ安全に操縦することを心がけました。

コースには14ゲートほどのパイロンがあり、カーブを描いてスラロームしたり、2本のパイロンの間を正しい姿勢で通り抜けたりするのが基本。ただし、ゲート間は自分で自由にライン取りができるので、そこを工夫していくとタイムを縮めることができます。

――エアレースの映像も拝見しましたが、一体どうやって練習しているのかが不思議です。

基本的にパイロンがある前提で飛べる操縦技量がないと参加できません。でも、レースの前でもトータルで10分ほどしか実戦練習の時間はないので、基本はほとんどがイメージトレーニングになります。シミュレーターも利用しますが、基本的なレース展開を頭の中でしっかりと組み立てて繰り返しイメージするしかないのです。

――ここまで無事故とのことですが、ヒヤリとした経験はありますか。

ヒヤリとした経験はありませんが、レース中には限界に挑むことはあります。勝負をかける瞬間に激しくコーナーを回ったりとか。どんなアスリートも100%まで力を出そうとするので間違ってはいませんが、それを続けていたら精神的・体力的に持ちません。エアレースは年間8戦が基本で、シーズンを通してコンスタントにポイントを稼ぎ、表彰台に上がり続けることが理想。一か八かで無茶をしてその一戦を勝ちに行くのではなく、常にトップレベルを維持することが何よりも大事です。2017年にワールドチャンピオンを獲得する過程で、その大切さをじっくりと学びました。

僕は精神力や集中力は年齢とリンクしないと思っていて、逆に厳しいレースをこなした数ほど強くなっていくと信じています。精神力の強さは筋トレのようなもの。1日や2日で筋肉がつかないのと同じで継続して鍛えることが求められます。だから昔よりずっと精神力は強くなっていると自負しています。