プールがない国で水泳選手を目指したのと同じ

――訓練で海外には渡っているものの、一貫して日本に拠点を置いています。米国や欧州と違い、航空文化が宿っていない日本でどうやって道を切り開いてきたのでしょう。

ある取材で、「プールがない国で水泳選手を目指したのと同じだ」と言われたことがあります。確かにそうだなと。自分でプールを作って水を貯め、泳ぎ始めたのと同じ感覚かもしれません。もちろん米国に行けば素晴らしい環境があるので、日本と比べればかなり楽です。ただ日本代表として、胸を張って世界と戦っていきたいと考えたとき、自分のベースは日本に置くべきだと決めました。それが30歳手前のことです。

その思いが、飛行機を購入して日本に持ってくる決断につながりました。部品も飛行場も格納庫もなければ、コーチもノウハウもない。課題は山積みで、1年や2年で解決できないものばかりでしたが、1つずつクリアしてきました。

2021年からはレクサスとチームパートナーシップ契約を締結((c)LEXUS PATHFINDER AIR RACING  Yusuke Kashiwazaki)
2021年からはレクサスとチームパートナーシップ契約を締結
((c)LEXUS PATHFINDER AIR RACING Yusuke Kashiwazaki)

――本拠地は福島市の「ふくしまスカイパーク」です。福島を選んだ理由は。

ふくしまスカイパークは1998年に開港し、僕は1999年からここをベースに活動しています。それまでは茨城県が中心だったのですが、茨城空港、百里基地、成田国際空港など飛行機の密集地帯で、空域が立体的かつ複雑に絡まっているのがネックでした。その点、ふくしまスカイパークは練習のために広い空域を確保でき、エアロバティックやエアレースの練習環境にもってこいでした。滑走路と空域に惚れて、すぐに移住を決めたんです。

――移住して23年。ほぼ人生の半分を過ごされているわけですね。

縁もゆかりもない土地に引っ越してきたにもかかわらず、最初から温かく迎え入れてくれました。僕自身、ここに来てからいろんな歴史を刻んできたし、2011年の東日本大震災でさらに結びつきが強くなりました。ちょうど2011年、2012年は戦績が最悪でしたが、福島県の復興と歩調を合わせるかのように僕自身も上り調子になってきたからです。震災から5年後の2016年に初優勝、2017年にワールドチャンピオンを獲得した事実がそれを物語っています。

エアレースで活躍したり、エアショーを開催したりすると地元で報道されることも多く、2017年には県民栄誉賞をいただきました。僕は180万人の福島県民の1人に過ぎませんが、こうしてメディアを通じて発信できる立場にいます。震災直後は福島の正しい現状を伝えることを心がけていたし、誤解の多かった海外でも間違いのない情報を届けようと意識してきました。

並行して2016年からは次世代教育に力を入れています。小学校3年生から中学校2年生までを対象にした「未来を考える教室 空ラボ」を通じて、自分で考えながら物事を進めていく力を身につける学びの場を提供しています。また2020年からは15〜19歳が対象の「ユースパイロットプログラム」を開始し、若い世代のパイロット育成に着手しました。滋賀県と新潟県から合計3人の高校生を迎え入れています。

――本業以外にも挑戦の連続ですね。2019年にレッドブル・エアレースは幕を閉じましたが、2022年からは新たに「エアレース世界選手権(WCAR:World Championship Air Race)」が始まります。最後に意気込みを教えてください。

現在のところ、この春過ぎにスタートする予定です。2016年からスポンサーになっているレクサスとは2021年にチームパートナーシップ契約を結び、これまでの関係性を生かして本格的なワークスチームの体制を組むことができました。今は3年ぶりのレースに向けて最終調整をしている段階です。

周囲からは年齢面での不安を理由に、不可能だと指摘されることもありますが、他人にとやかく言われることではないですよね。自分の体のことは自分が一番よく知っているし、常にトレーニングを重ねていますから。それこそ、レースがなかった3年間はフィジカルトレーニングを地道に続けてきました。年を経るにつれてプレッシャーも減り、勝負は時の運だと開き直れるようにもなりました。ベストを尽くして調整しているので、今は楽しみしかありません。レースの再開に合わせ、一気に上昇気流に乗っていきたい――そんな気持ちでいます。

(タイトル部のImage:(c)LEXUS PATHFINDER AIR RACING Yusuke Kashiwazaki)