強い反対に遭わないようなものは、大きな変革にはならない

 全生徒にiPadを持たせ、IT機器の活用を教育現場で推進することに対して、学内で反対はあったのでしょうか。

 当然ありました。変化は誰しも怖いですよ。逆に強い反対に遭わないようなものは、入れても対して影響がないし、大きな変革にはならない。逆に大きな反対があったので、これは絶対やる価値があると思いましたね。

 (生徒に対して)「変化に対応しなければならない社会になるからお前らがんばれ」と言っている先生が変化に対応しないようでは本末転倒。いくら反対があろうが、先生自身が(変化していく状況を)乗り越えていく姿を見せないといけないでしょう。

 今回の体験会は中学生にとってはハードルが高いように感じました。実際、(プログラミングに使う)Macに初めて触れる生徒も多かった。IT機器やソフトウエアを使うための教育にはどのように取り組んでいるのでしょうか。

 IT機器やオフィスソフトなどを使うための教育には時間をかけていません。アプリケーションの操作方法を教えるということはやらない。例えばワープロソフトの「Pages」を用いて課題に取り組んでもらう場合、まずは成果物について「最終的にはこんなものを出してください」と提示するんですよ。

 課題を作成するに当たって必要な操作があるけれど、生徒に対しては、「いいチュートリアルビデオがWeb上に上がっていたり、ページにあったりするから、それを参照して自分で検索してやりなさい」「検索するためのツールは君らに持たしているから。だから君らはそれで調べて先に進めなさい」というふうにやっています。

 成果物に対するゴールを示して、そのやり方は生徒自らが考える。

 そうです。例えばムービーを作る課題を出した際、「どうやって作ったらいいのかは(自分たちで)調べて」という形にしたんですよ。そうしたら、「どのようにして(こんなすごいものを)作ったんだ」と僕がびっくりするような作品ができてきた。僕がやり方から指導してたいたら、おそらくこうした作品は出てこなかったんですよ。

 彼らは自分たちで必要なものを探し出し、方法や手順を学習し、組み合わせて、自分がやりたいと思ったものに近づけていった。マニュアル的なものを含めて、教えるのは限界があると思いました。「教える」というのは結局自分の限界に縛り付けるということでもあるんです。そうであるからこそ、うちの学校では、基本的にiPadへのアプリのインストールなど自由にしています。

 これからは「課題解決型」が大事だと言われますが、そうする場合、(ICT機器などを)自由に使える環境を与えていない場合もあるんですよね。「課題解決型」と言ってはいるんですが、実際にゴールに行き着くための方法を先生が先回りしていたり、すごく限定していたり、思い切りが足りない場合が多かったりする。

 我々としては、そうしたことが今までの取り組みの反省点としてありました。生徒がいかに任されて、いかに自由度を与えられるかによって、成果物の出来不出来が決まるということをここ2年で痛感しました。

 そうした過程で生徒が危険な目にあったり、知らないうちに著作権法に違反したりといったことはないのでしょうか。

 僕らが気を使うのは、例えばクラスで何か成果物を作るときに、お金が絡むこと、生徒同士のトラブルに関すること、外部の業者と交渉すること、これらへの対処は僕らの仕事だと思っています。何かそういうことが必要になったら、僕に声をかけてもらいます。教えることではなくて進めていく潤滑剤。それが僕らの仕事だと思いますね。

 まさにファシリテーターですね。

 そうだと思います。(ティーチャーからファシリテーターに)シフトしていかないと、生徒の自主性を育んだり、問題解決型の生徒を育成するのは難しいと思っています。